イスラム国と避難民(日本の貢献のありかた)

アメリカ大統領はゲリラ集団を弱体化し、殲滅させるために、国連を使ってアラブを含む各国に国際協調を呼びかけ、仲間を募って、今までイラク国内に限定していた空爆をシリアにまで伸ばした。 続きを読む

仕事の仕方あれこれ(女性の扱い)

男女雇用機会均等法が1985年に施行されてから約四半世紀たち、その間1997年にはいわゆるセクシュアルハラスメントに関する項目が追加されたりして、以前に比べれば、女性に対する雇用機会は開かれているように見えますが、実際にはまだまだ日本では男社会のシステムが抜けていないのが現状です。 続きを読む

ヒッタイト族お手伝いさんの水利用と口コミ

ベイルートの戦乱のため、家族はしばらくロンドンに避難民として滞在していたが、それぞれの家族はその後、中東の諸国に散らばって勤務することになった。

バグダッドは当時、かの有名なサダム・フセインのおじさんにあたる、ハッサン・アル・バクルという人が大統領を務め、国民もこれから良い国になると感じて、シーア派もスンニ派も仲良く暮らし、事務所のボーイも、暇があれば英語の本を片手に勉強をしていた。 続きを読む

パレスチナ人お手伝いさんの日本食と子育て

ベイルートは昔から中東のパリと言われて風光明媚な時代がありましたが、第4次中東戦争(1973年)のころから、アラブ対イスラエルという構図から、キリスト教徒対イスラムなど複雑な仕組みとなって、市街戦が日常となり、そのころ我が家では子供が出産するので、米国が建てた、AUMBC(American University of Beirut Medical Center)のお世話になり、無事二人の男子を出産しました。今回は、その時にお世話になった病院やパレスチナ人のお手伝いさんの子育てのお話です。 続きを読む

世界のお手伝いさん事情(人を使う、人に使われる)

サラリーマンなら人に使われ、少し経ったら、人を使う立場も両方経験するわけですが、これが個人の立場で、使われたり、使ったりする場合には可なり事情が異なります。

戦前では、東京でもちょっとした家なら「ねえやさん」と当時呼称していたお手伝いさんがいました。また個人商店などでは、番頭さんがいて、「たかどん」とか「何々どん」というような呼び方をしていて、年期が明けると、のれん分けをしてもらったりして、独立するというシステムがありました。 続きを読む

国作りの基本

最近は改憲問題がニュースになって、議論が政治の世界で特に賑やかなようです。刑法や民法などのいわゆる法律は、我々国民のために、国家が作って、我々国民に守らせるためのものです。しからば憲法というのは一体誰が作り、誰のためにあるのか? 続きを読む

終身雇用と改正高年齢者雇用安定法

今年の4月から、希望する全社員が65歳まで働けるよう、企業に義務づけた「改正高年齢者雇用安定法」とか言う法律が施行される事になったようです。

私たちの時代は、少なくとも一部上場の会社では、終身雇用だと思って、(実際にそうであったが)気長に勤めに出ていました。しかし、最近は一部上場といえども厳しい経営難に遭って、リストラをされる社員も多く、またリストラをされないまでも、定期昇給はフリーズされ、ボーナスカットは当たり前の世界になっているようです。

経団連としては、今回の法改正で、会社としては、若手新入社員の採用数に影響が出る可能性は否定できないとコメントしている。いったい実態はどうなのか、近くにいるメーカーや商社、コンサルタント、流通業などのサラリーマンに色々聞いてみました。 続きを読む

ベイルートの内戦

現在、シリアでは内戦で大混乱のまっただ中です。こうした事態での被害者は常に弱者です。日本では、内戦とか反乱というものをあまり経験することがありませんが、実際に世界では、政治、宗教、民族、イデオロギーなど、色々な理由で内戦なるものが起こります。それが終わってみると、いったいあれは何だったのか?といったケースが多いようです。私たちが実際に海外で経験した内戦あるいはそれに類することについて、いくつかのケースを検証してみたいと思います。 続きを読む

リビアでの収監事件

西側諸国の外国人が自由に入国できなかった時代、リビアの日本大使館で木曜日の夕方(日本流に言えば金曜日の夕方)からの宴会に招待を受け、現地商社駐在員や通信関係の工事で滞在していた工事関係者などがごちそうになった。

当然お酒も出たので皆さん大喜びで、特にリビアやサウジなど、酒に厳しい国なので、遠慮なしに飲み食いをして、私どもは前回書いたように、麻雀仲間と一緒に借り上げ社宅のマンションで夜中まで遊んでホテルに帰った。後に残った人たちは最後まで食べ尽くして、遅くまで公邸で粘っていたようです。 続きを読む

リビアでの事件始末記

カダフィ大佐が統治していた時代、リビア政府は西側諸国に対して、パスポートにアラビア語での表記をするよう、各国政府に要請した時代があった。日本政府はじめ、どこの国もそれには従わず、従って、仮に入国しようとしても、トリポリの飛行場でUターンさせられる可能性が大きかった。 続きを読む