サラリーマンあれこれ

まもなく4月1日になると、やっとの思いで就活を終えて、希望と不安を抱きながら、新入生は社会人という人生を歩み始めることになります。所詮時代は変わっても、人間の本質は変わらないと勝手に思い込んでいるので、現代に参考になるかどうかはわかりませんが、長年サラリーマンをやり、国の内外で経験させてもらった、サラリーマンに関係ある色々な内容(商売、信用、会社など)をご紹介しようと思います。

昨年末の紅白歌合戦でも、美輪明宏が歌った「ヨイトマケの唄」が「レコチョク」のユーザー投票で1位になって話題を呼んでいます。理由は感動して涙が止まらなかった等、若い方の声が多数寄せられたという。

私の小さい頃は皆が貧乏で、女性(カーチャン)が「トーチャンのためならえーんやこーら」のかけ声で井戸掘りなどの手伝いをしたのは珍しい話ではない。母が子を思う気持ちは今でも変わらないはず。ただ、時代が変わっても、だめなやつはだめ! 「昔だって子を捨てて、母親が男と駆け落ちをしたケースだってある」と、三輪さん自身が言っている。

同じNHKで今年から始まった大河ドラマが会津藩のお話で、「ならぬことはならぬものです」(だめなことはだめ=理屈は抜き)というのが「什の掟」の締めくくりの掟です。しかも、今現在も会津の小学校で、この掟を小学生が唱えているのがいいですね!! なぜだめなのか説明責任を果たしてくれなんて馬鹿なことは言わないようです。

  • 商売と信頼関係

他人から信用を得るということは、当然の事ながら、国内は勿論、海外でも大変重要なことです。まして商売をやっている方なら、なおさらのこと気を遣って、他人と付き合う必要があります。

風俗習慣、文化や宗教が異なる外国人とどうやって信用関係を築いたらよいのか、日本人同士でも昨今は信頼なんて、ほとんどが皆赤の他人で、信用を築く暇があったら、自分で好きなことをした方がよいと考えるような昨今です。外国でもそうした風潮は同じなのかどうか判りませんが、かつての経験をご参考までに。

  • リヤド電力局長とアラブの葬式

ベイルートに赴任早々、現地のスタッフが「うちの取引先のリヤド電力のお偉いさんの親戚が亡くなって、ベイルートの田舎で今日葬式をやっているけど、どうしますか?」と聞いてきた。赴任したばかりだし、アラブの葬式なんて訳も分からないまま、「とにかくお悔やみに行くから」と言って、そのスタッフを伴って、車で田舎に行った。

用意したものは、白い花束と白い封筒に入れたお金だけ。到着して、ご本人が出てきた。私は初めてお目に掛かる人だったので、「私は赴任早々の日本人で、アラブの風習はよく分からないが、とにかくお悔やみを申し上げたいので来ました。失礼かも知れないが、これは日本式のしきたりで、お花とお香典をお持ちしたので、宗教は異なるが、亡くなった方への気持ちを表しに来たので受け取って欲しい」と伝えた。相手は素直に「良く来てくれた」と言って、これらのものを受け取り、アラブのお茶をご馳走になって帰宅した。

しばらくして、私がリヤド(サウジの首都)に出張するので、スタッフがリヤド電力に連絡をしてくれた。現地に着いてから、場所を確かめ、一人で事務所に出向くと、ベイルートで会った時には背広姿だったが、リヤドでは例のオバQの格好なので、誰が誰だか見分けがつかず、きょろきょろしていたところ、廊下の一番奥の部屋から声をかけてくれている人が彼で、部屋に通され、先日のお礼を言われた。「アラブのしきたりも知らずに失礼だったかも知れない」と言い訳をすると、「とんでもない。大変感激した。日本人が葬式に来てくれたのはあなたが初めてだ」と言われ、そのあと、色々と商談になったが、リヤド市内の道路の照明灯やら、ディーゼル発電機など色々と買ってくれた。

しかも、その後度々リヤドを訪れたが、当時はホテルが少なく、予約をしていても、「部屋はありません」と簡単に断られてしまう始末。ある時やむを得ず、空港から夜遅く、彼の自宅に電話をして、「予約したのに、ホテルがないけど何か方法はないか教えて欲しい」と言ったら、「ちょっとそこで待っていろ、迎えに行くから」ということで、彼が自ら車を運転して迎えに来て、かつその断られた一流ホテルに行って、彼が交渉したら、「OK、お部屋はあります」とのこと?! やはり、サウジは顔とコネの世界です。

しかし、よく考えてみると、彼とは葬式に行ったという個人的関係だけで、商売やら、個人的に夜中に車で迎えに来てくれて、ホテル迄送ってくれたりしたことはなぜなのか、未だに考えると不思議な気がしないでもありません。でも、多分これが「人を信用してくれた」結果なのかも知れないと思っています。

こんなことは意図して出来る事ではありません。やはり普段の行い、立ち居振る舞いが大事なのでしょうが、やはりお相手の方が立派な方だったと思っております。