共存共栄

共存共栄だなんて、こんな古い言葉を持ってきて今更何を語ろうというのか?と聞かれそうですが、まあ聞いて下さい。

前回、「貧困層は救われるのか?」という命題に対して、救える条件は現状では可なり厳しく、地域コミュニティーで皆が助け合うような状況にならない限り、一般論では救いがたいだろうという事を書きました。今回は、そんなことが出来るのかどうかも含めて考えてみたいと思います。

今年6月22日に、NHKで「放射能汚染からの漁業再生〜福島・いわき市」という番組が放送されました。内容は、6月1日、いわき市の水産会館に、いわきの漁業の未来について話し合うために、漁業者市場の仲買人、小売店、そして福島県の水産試験場や市の職員などが集まり、専門家などの意見を聞くというものです。

福島の原発事故の後、現在まで、放射能に汚染された福島沖の漁場に、いつ漁民が通常作業に戻れるのか、色々な形で調査船を出し、海底にいる魚、回遊魚、岸近くの魚類など、生態系別に試験作業をして、どの魚なら大丈夫といって、魚種別に解除して行く方針ですが、なかなか先が見えません。そこで、紹介された話の中で興味があったのは次の2人です。

1人は、筑波大学准教授の五十嵐泰正さんです。漁業ではなく農作物が原発事故のあと、風評被害も含め売り上げが下がって問題になった、千葉県柏市に住んでいる五十嵐さんの話です。

五十嵐さんは、消費者と農家が共に話し会った中で安心できる野菜だけを流通させる仕組みが出来ないかと考え、これを実行してきた方です。

柏は原発から200km離れていますが、名産のカブやホウレンソウが原発事故のあと、いわゆる買い控えがだいぶ進んでしまいました。そこで、消費者と共に農家の畑で放射能を測定をしたり、消費者と生産者あるいは流通飲食も一緒に集まって、一緒にこの問題を解決していこうとしたわけです。

農家だけでなく、地元の野菜に親しんできた市民にも動揺が広がりましたので、まず農家と消費者が話し合う場を持つ事にしました。主婦や、農家や直売所の経営者も加わり、それぞれの立場からまずは率直な意見をぶつけ合いました。厳しい消費者側からの要求に、初め農家は戸惑いがちでしたが、五十嵐さんは農家と消費者をつなぐために、畑に消費者を連れていって、消費者自身が農家と一緒に畑で収穫し放射能を測り、更に土壌の汚染まで計測しました。一緒に実態を学んでいく事から、相互の理解を深めていこうというわけです。

農家も放射能汚染について度々勉強会を開き学んでいきました。こうした活動の結果、柏の消費者と農家は20ベクレル未満という独自の基準を作り、野菜の地産地消を復活させる事ができました。一緒に基準作りに参加した農家は「My農家」と呼ばれ、消費者グループのホームページに掲載され、消費者と農家の信頼関係が地域に広がっていったわけです。

より多くの市民にこの活動を知ってもらおうと五十嵐さんたちは「My農家」が作った野菜の試食会を開きました。参加者は60人。その多くが家庭の健康を気遣う女性たちです。

参加者からは「このニンジンやカブは大丈夫?」等という質問が飛び交います。でも、それだけ注目が集まっているというのは、ある意味チャンスでもあると考え、この注目が集まっている時に、むしろどう積極的に情報発信をしていくのかを考え、実際には、まず消費者と一緒に畑に行ってまず土壌を測ります。そこ自体に消費者が行くという事で、それ自体がある種のコミュニケーションの場になったわけです。

それからもう一つ、自分の畑のコンディションは自分が一番よく知っているということで、自信たっぷりに消費者と対じする事ができるようになったことが大きかったそうです。

このような仕組みや行動は、言わば消費者と生産者という利害相反するグループを繋いで行くための人間がいることが重要で、このケースは、まさに地域コミュニティーのコミュニケーション触媒のような人(五十嵐さん)がいてこそ実現できた話だと思います。

もう1人は水産経済学者の馬場治さんです。彼は震災後、被災地のさまざまな地域で漁業を含む水産業の復興状況であるとかを調査してきた方です。

まず、いち早く漁業から立ち上がりたい。皆さん、とにかく早く元に戻りたいという声がありました。そういう事に彼は非常に期待を込めて、「共同操業」というのを本格的に考えたらどうかという提案をしてきました。

「共同操業」というのは、漁業者たちが共同して船を出し、取れた魚をみんなで分配する漁業の在り方です。これによって、高齢化や後継者不足に悩んでいた各地の漁村が再生する姿を、馬場さんは見てきました。

この日、馬場さんが紹介したのは秋田県の小さな漁港の取り組みです。秋田県にかほ市の金浦漁港です。ここの名産はハタハタで、冬の漁期の間、港は大きく賑わいます

ここでは資源を保護するため、90年代の半ばから漁獲量を制限してきました。しかし、そのために漁師同士の競争が激しくなりました。危険な夜の漁を休みなく続け、ケガをする漁師が続出。海に落ちて亡くなる人も出ました。高齢化も進んでいました。競争に敗れた高齢者は収入がなくなり、厳しい生活を強いられるようになりました。

この時ハタハタの水揚げで1・2を争っていた2人の漁師が立ち上がりました。その一人が佐々木鉄也さん、もう一人は池田大さんです。

2人が提案したのは、共同で漁業をする「共同操業」でした。みんなで一緒に漁に出て、利益は平等に分配しようと提案したのです。そうすれば過度な競争もなくなり、危険な海に出る必要もなくなります。安定した収入が全ての人に行き渡り、格差も生まれません。

港で1・2を争っていた2人は、ハタハタ漁の収入が以前の年200万円から半分以下に落ち込みました。しかしその一方で、漁業へのやる気が港全体に広がっていきました。更にみんなでお金を出し合い、魚に傷がつかない新しい機械を購入。それによって魚の値段が上がり、取る量は少なくても高い収入が得られるようになりました。「共同操業」が軌道に乗った事で港の未来にも光が見え、若い後継者も入ってきました。また、年配の漁師から若手へ技術の伝承も行われるようになりました。

その秋田から、佐々木鉄也さん本人が直接話をするために福島にきて、話をしています。

金浦の浜では22人か23人ぐらいハタハタ取る人がいたんですけど水揚げの格差がすっごく大きくなるんですよね。

僕たちが大量に取ってしまうもんだから他の人たちが取れなくなるんだものね。そうするとお前らいっぱい取ったんだからあとやめれって休めってこう…。

そういう不平不満が出てくるもんだから自分の気持ちもすさんでくるし。じゃあみんなで共同してやろうかと。けんかはするなと。それからグループが港がだんだんと変わっていくんだものね。

何ていうか今まで競り合ってきたものがお互い朝になれば「おはよう」とか「どうだ?」とかあと漁場も教え合ったり。いい循環になってくるもんだから漁師の子供さんたちが「ああ自分も漁師になってこうやって魚いっぱい取りてぇな」と。職業を変えて漁師になった人も中にはいます。

だから共同操業っていうの他の港でもやれるんじゃないかなと自分では思うんだけどそういうふうになってほしいなとそう思ってます。いやほんと話下手で申し訳ねぇんですけど。

ここにいらっしゃる皆さん同じだと思いますけども同じ地域に住んでいてもやはり沖に出れば競争相手なわけですね。その競争の結果経費がかさんだりあるいは非常に厳しい労働になっていったり後継者もなかなか確保できない。

これが一部でも共同操業があれば後継者が入ってくる。その事で地域の産業としての漁業を残していける。資源も持続できるという方向で皆さんが考えられると思うんですね。

まさに、自由経済原則の原理からすれば、こうした競争で勝ち組と負け組が出る。そして、負け組は廃業するか、僅かな収入で生計を立てるしかない。立たなければ廃業となる。しかし、このケースでは、勝ち組の提案で共存共栄が図られ、一つの漁場が一つの漁民グループとして活性化するという話です。

これは理想的なケースの話ですが、この地域が大きくなって都会化してくると、こんなケースはほとんどまれで、実際には非情な経済原則に支配され、勝ち組は益々強く、負け組との格差も広がり、貧困層が拡大するというパターンになるのでしょう。

結論としては、自由競争の原理の中では当然勝ち組が益々勝ち、負け組との格差は増大する。それを和らげるのは共存共栄しかない。しかし、それは他人の善意や日本的な優しい文化だけでは、残念ながら達成は出来ないと感じています。

しかし、日本の社会全体でどうしようもなくなる前に、何とか小さい輪(コミュニティー)を広げて、大きな輪にしていく事を考えなければ、破滅の道を歩むしかない。しかも、グローバリゼーションの世の中で海外との競争となると、益々激しさを増し、政府も企業も個人も、上記の問題をどう捉えるのかの基本的スタンスを持ち合わせなければ、生きて行くのは大変なことでしょう。