右脳と左脳

ある日の朝、脳科学者のジル・ボルト・テイラー(Jill Bolte Taylor)は突然脳卒中に見舞われたが、それと理解するまでに時間がかかったそうです。

話の概要はこうです。目が覚めるとなぜかとても気持ちが良く、平和な世界がある。朝シャワーを浴びるがどうもおかしい。自分の手が浴室の壁と同化して見える。でもなぜか気持ちが良い。突然自分の左脳が、これはトラブルなんだと叫ぶ。自分は脳科学者なので、一瞬、これは自分の脳のトラブルを自分で体験できるまたとない機会だと思い、自分の脳に集中した。

それからが大変で、自分の友人の名刺を探し、電話をかけるが、それも大変、かかっても、友人の声は犬の鳴き声にしか聞こえない。多分自分も犬が話しているようにしか聞こえなかったはず。友人は何が起こったのかを察して、救急車で彼女を病院に運び、結果、8年のリハビリを経て、この世に生還したという話です。その話をTEDの講演会で面白おかしく詳細に語っていますので、是非動画を見て下さい。

彼女によれば、人の脳はきれいに二つに分かれていて、基本的には別々のもの。それを左右に繋いでいるのが脳梁で、左右の機能を使い分けている。

右脳は映像で考える。今の瞬間だけに興味がある。右脳の「自分」というのは、自分と他を隔てる境界線がない。すなわち、右脳だけで捉えたこの世界は一つになっている。自分と外(他)との区別がない世界だということになる。一般的には芸術的才能とか、直感的才能などを司ると言われてきました。

一方、左脳は言葉で考え、直線的で過去を分析し、現在から未来を見通す機能がある。論理的で、計算ずくということも言われています。左脳の捉える「自分」というのは、他者と一線を画した、いわゆる我々の一般常識でいうところの自分です。私は「自分」という一人の人間であり、「自分」を守らなければならない、という認識です。

こちらは、近代の物質主義的な世界観そのものです。この機能が活発になりすぎると、利己的になり、「自分だけがよければ」という、自己中心的な結論に行き着くことになるのは簡単に想像できます。

左脳の一部を脳卒中で損傷したジル・ボルト・テイラーは、右脳だけで世界を見ることが出来たわけで、その世界は平穏で幸福感に包まれ、これまでの人生で抱えてきたものから全て解放され、至福の世界だった。全てのものと自分との境界がなくなり、 エネルギーだけが存在していたと語っています。

そして右脳だけで捉えた世界を体験した彼女は、トークの最後をこんな言葉で閉めています。「我々がより多くの時間、右脳側に寄り添い、平安の回路で生きることを選択すれば、世界には平安が広がり、我々の地球ももっと平和な場所になると信じています」。

多分、間違いなくそうなのでしょう。ところで、この話で盛り上がった私の仲間と、一体どうすれば右脳を働かすことが出来るのかという話になり、一体自分は右脳型なのか左脳型なのかということになりました。

ここからは私たち脳科学に関しては全くの素人が、実体験や日常生活で経験した話を元に、右左の脳に関しての雑談です。但し、結構上述のテイラー博士の証明話のような所もあり、日常の生活でも考え方によっては役に立つ話なのかも知れません。

  • 右脳型だったのに左脳に切り替えさせられた人!

仕事仲間の友人が、自分は小さい頃から左利きだった(ということは、右脳が発達していたはず)。しかし、小学校の時に習字を始めるに当たって、右手でなくては駄目と言われて、無理矢理右利きにされてしまった。それ以来、自分の脳は左右が反転したのでは?!と言っております。字が下手になったのも、そのせいだと言っておりますが、私から見れば間違いなく右脳型で、割り切りも良く、洞察力にも優れて、直感的です。

  • 芸術的サラリーマン

普通、サラリーマンの日常なんて間違いなく左脳型で、計算、決まった作業、理屈での判断など、どう見ても芸術的、直感的能力を求められる世界ではありません。しかし、そこに芸術家が入るとどうなるか?

あるとき、プレゼンテーション資料としてパワーポイントで絵入りの資料を作り、最終的に2~3枚の修正を若手サラリーマンに依頼した。私は30分もあれば出来るはず思ったが、彼は1時間以上かかるというので、2時間後にもう出来たか聞いたら、未だですと言う。

何をやっているのかチェックすると、絵の出し入れや台詞の動きなど、事細かに取り決めている。ただハードコピーを渡すだけなのに、こんな細かいところから、いきなり入り込んで、短時間で仕事を終わらせる発想が無く、間違いなく芸術家としての資質十分な右脳型サラリーマンを発見しました。有名な絵描きさんなどにはよくこのタイプがおられ、自分に興味があるのは絵を描くことだけ。時間や場所や周りの状況などはお構いなしの、典型的な右脳型です。

  • 悟りや修行における右脳の働き

最近は四国のお遍路さんに外人の歩きお遍路さんが増えているとのこと。1,400kmほどを、足で歩く事はそう簡単ではありません。また、滝に打たれる修行など、なぜ人はこのような苦行をしたり、又、時には座禅をして瞑想にふけるのでしょうか?

これは人間が普通に過ごしていると、何も考えないではいられない。そこで難行苦行をすることによって、何も考えられない境地に追い込むことによって、右脳だけの世界が体験できる。この状態が、別の言い方をすれば、一種の悟りであり、瞑想の境地であるのでしょう。普段から悟りの境地で生活が出来るような名人がいれば、うらやましい限りです。

  • スポーツにおける右脳の働き

私はテニスをやっていますが、野球にしても、大方のスポーツは、天才なら別ですが、普通の人はまず理屈から入ります。左脳の世界です。ボールが来たらこう打つということは、理論では理解できます。

しかし、理論だけでは幾らやってもうまくなりません。それこそ、何回も何回も練習して、左の脳が働かなくなって、自然に右の脳だけでイメージだけで打てるようになると、自然に相手をやっつけられるような球筋のショットが打てるようになります。これもまさに、一に練習、二に練習、意識がなくなったときに、無意識で打つべき所に打てるというのが、右脳の世界のようです。

マラソン選手を見ていると、42.195km近くなれば、なかなか理屈では考えられない境地になってくるのではないかと想像しています。確かに物理的には苦しいでしょうが、精神的には恍惚の境地というのもあるのかも知れないと思っています。

  • 世界平和のために

私事ですが、典型的な左脳型凡人タイプのようです。乳児幼児の頃に、妹が仏壇に上がっていた1個のまんじゅうを食べたいと言って泣いた事があります。私が明治3年生まれのばあさんに、私としては、妹にまんじゅうをやるのは全然構わないが、「泣けばもらえる」というその根性は許せないと言って、理屈をこねたという話を、大きくなってから父から聞かされました。父親はずいぶん理屈っぽいことを言う子だと思ってみんなで笑い話にしていたそうです。

私はあまりその記憶は無いのですが、妹の方は長じて、小学生の頃には、仲間とゴム跳び遊びをしていて、足に引っかけてゴムが揺れているので、「お持ち交代」と言うと、妹は、「足に引っかかっていない。あれは風で揺れたんだもーん」という、恐ろしく生活力のある、左脳を働かせていましたが、これでは世界は平和になりません。

せめて世界が平和になり、皆が右脳を意識的に使うようなるためには、凡人はやはり、左の脳は勿論、右脳も上手に働かせるためには、死ぬほど努力をしないと駄目なようです。