少年と他人のおやじ

昔、東南アジアの副支店長をしていた、Sさんという私学出身の知人がいる。彼の息子さん2人は当時、高校生だった。

ある日、私がSさん一家とオープンテラスのレストランで食事をしたとき、ちょうど星がよく見える夜だったので、彼らに天文学の話と物理学の関係の話をし、フランスのある詩人が「人は詩と代数と天文学をやらなければならない」と言っていると放談したことがあった。

それからしばらくして奥さんにお目にかかったときに、「うちの息子たちが、あのとき以来、人が変わったように、取りつかれたように勉強をはじめて気味が悪かったんです。主人が、大学は自分と同じ程度を考えていたようですが、結局、上は東大の工学部に入りました」という報告を受けた。

さらに2年くらい経って、下の子も東大に入学したことを知った。たぶん、私の話が良かったのではなく、もともと素質があったのと、おやじは私学の文系だったので、私の話がいわば反面教師となって、少し刺激になったのだろう。

もう一人、Iさんという方がおられ、比較的最近、息子さんと一緒に会社のテニスコートにテニスをしに来ていたことがある。その後、おやじは中国にある合弁会社に単身赴任をしていた。

留守中に息子が一人でコートに来ていたので、「おまえは一人息子だから、おやじの留守中はよくお母さんを助け、例え高校生でも、おやじ代わりをしなければいけない(まるで明治時代の修身の教科書のようだ!)。いずれにしても、おやじも年だから、じきにおまえが一家の柱にならなければならないことになる。自分が何になる、どうするということも大事だが、それを実行するには親が丈夫なうちに親を踏み台にして自分が成長することが大切だ。それが結果として柱になるということだ」と、分かったような分からないような話をして励ましておいた。

まもなくおやじは帰国した。すると、奧さんが(私はIさんの奥さんとは面識がない)「テニスコートでいろいろ話をしてもらったらしいが、そのとき以来、どうも人が変わったように家の手伝いはするわ、勉強はするわで気持ちが悪い」と言っていたそうだ。あとからIさん自身に聞いてお礼を言われたが、別にお礼を言われるような話ではなく、少年とはそんなものだろう。

他にも、小学生の頃から知っているお嬢さんが、親と一緒に私とフランスの話をし、フランス語や勉強について話をしていたら、後に「あなたの影響で、結局フランスの医学系の大学で勉強をし、医者になりそうで参ったよ」と言うような方もおられる。