群れで生きるために

一般的に、今の高校生くらいだと、精神的に中学生よりは少し落ち着いてきて、しかも少し将来のこと(といっても、大学に進学するか、専門学校に行くか、親の家業を継ぐか程度の漠然とした考え)も頭の片隅に少しはあるという程度であると了解している。前に書いたように、子供は自立していないばかりか、親が子離れしていないという風潮が一般的な現代では、このことをどうするかという社会問題としての取り上げ方をしてみても、時代が解決するというような言い方になってしまい、よい解決方法などそう簡単には見つかりそうもない。

この時期の子供たちはなんだかんだ言っても結構感光度が高く、心の中ではいろいろと反応し、自分の心の中に焼き付けていると思う。それだけに、悩みは親が思っている以上に子供の方がいろいろと考えている節がある。

裏を返せば、これはよいインパクトをどう与えてやれるかということに尽きるわけだが、日常の生活の中では、親も先生もそれほど期待ができない。ならば、やはり非日常の世界の中で誰かが、あるいは本人が意識しないうちに感光しているようなやり方が考えられる。

非日常的な場面で、何かのきっかけで本人の心に感光して、それが方向付けになるようなことはよくあるようだ。具体的には、例えば夏休みに、家庭下宿体験のような機会を作り、他人のうちの飯を例え一週間でもよいから食ってみて、生活してみて、いろいろな世の中があるのだということを知るだけでも、何か得るものがあるはずだ。それで結果として、やはり地場に残って、安穏な生活をしたいという選択をしても、それはそれで良いのではないか。

とにかく親から離して、例え一時でも違う環境で生活させ、他人の話を聞いてみることは何かの役に立つはずだ。こんなことができるのかどうか、教育素人の私には分からないが、少なくとも、自分が生徒の立場では理解ができる話ではある。

やはり、最近は生(なま)で他人と接する機会が少なすぎるし、面と向かって他人と会話することすらおぼつかない人が増えているということ自体が問題なのだ。人間は群れて生きざるを得ない動物なのだから、好き嫌いは置いといて、群れ(親兄弟、学校、会社、サークル、マンション等)の中で生の接触ができなければ生きられない、と大学生に説明したら、「人間が群れて生きる動物だと始めて知りました!!」というコメントが返ってきた。要は、群れの生活体験が少なすぎるのだ。