海外でのやりとり

外国語が話せるとか外国語で話が通じるというのは、知性と教養のある人が勉強してやっとそうなると思っている方が多いが、言葉とはそんなものではない。

  • 東北弁の現場主任とラオスの労働者

ラオスに赴任した、普段は日本国内で送電線の工事をやっている現場主任の話。彼が慣れない外国の現場に来て、どうやって工事をやるのか、また、現地の労働者をどう使うのか興味を持って見ていた。

この会社の仕事は地味で忍耐が必要な作業ばかりだからか、経営者いわく、「東北出身者がほとんど」とのこと。普段、仲間同士で話している日本語は、われわれが聞いてもよく分からない、いわゆる東北弁だった。

一月もたたない頃、現場では日本人主任が穴の中で作業をして、ラオスの労働者が地上から道具を渡していた。下から主任が「げんのう!」とか、「あいつら、日陰でねまってっからねめってこう!」などと全部日本語で指示しても、ラオス人には全部分かっていた。外国語が話せなくても、日本語を教えてしまえばいいのだ。素晴らしい!(ちなみに、「ねまってっからねめってこう」は「サボっているから呼んで来い」といった程度の意味のようだ)

朝の点呼では、「右へならえ!」「番号!」「いつ、ぬ、さん、すう…」が当たり前の現場。ラオスでの日本語が全部東北弁になっているかもしれない日を、ひそかに楽しみにしている。

  • サウジ政府高官とアラビア語での契約交渉

アラビア語は難しい言語の一つだと言われる。しかし、仕事の話であれば何を話しているのかだいたいの内容は見当がつく。一般の会話では何を話しているのかサッパリ分からないのだが、商売の契約交渉では見積書とか入札書類とかを基にして話を進めていくので、だいたいの流れはつかめるのだ。

ある商品で、サウジ政府の高官と交渉したときのこと。メーカーのギリシャ人と通訳のイギリス人を従えて交渉に臨んだ。中身は和やかに、極めてスムーズに事は運んだ。

最後に礼を言って退去しようとすると、高官が私に向かって、「あなたはアラビア語がお上手そうですが、そんなにできるのになぜ通訳など雇うのですか?」と聞くので、私は「タクシーに乗る程度はできますが、とてもビジネスで使えるレベルではありません」と答えた。

すると、「そんなことはありません。あなたはおかしいところで笑い、返事すべきところでうなずいていたではありませんか」と言われた。「確かに、なんとなくはそうですが、自分で話ができるような代物ではないのです」。そう言って、決して私が分かっていて通訳を雇ったわけではないと説明し、理解を得た。

通訳を雇って交渉に臨んだ場合、こちらはその国の言葉ができないと相手は承知して話を進めるものだ。しかし、どこの国でも、たとえ下手でも、直接相手と誠意を持って話をするということがコミュニケーションの原点なのだ。もちろん、話が通じることは重要だが、言葉だけの問題ではなく、お互いの気持ちや誠意といったものが、言葉のやり取り以外に大変重要な要素を占めているということを認識して欲しい。

  • テヘランのタクシー

海外出張が生まれて初めてという若者を伴って、テヘランに降り立ったときのこと。私もテヘランは初めてだったので、タクシーに乗り、運転手に事務所のある通りの名前だけ告げ、あとは隣の兄ちゃんと話をするつもりだった。が、彼は興奮して、「よーし」などと一人で勝手に気合いを入れていた。

目的地に到着して、それが高いか安いか全くわからないまま、運転手に言われた運賃を支払って事務所に行くと、「タクシーで来られましたか?いくらで来ましたか?」と聞かれたので、「いくらいくらです」と答えると、「ひえー、それは現地人並みですよ。日本人に見られなかったのではないですか?」と言われた。海外では、だいたいどこの空港にも俗に言う「雲助タクシー」がいて、特に観光客など素人と見ると、運賃を水増し請求してくるケースが少なくないのだ。

われわれが海外で日本人に出会うと、旅慣れない観光客なのか海外駐在で旅慣れているのかなど、ちょっと態度を見ただけでおおよその見当が付く。現地の人から見ても、いかにも「お上りさん」という態度や格好は、意図として悪いことを考えている相手にカモにされる可能性があるので気をつけていただきたい。