今日から会社をしばらく閉鎖しますと言われたら

今日から会社をしばらく閉鎖しますと言われたら、あなたは明日からどうやって飯を食いますか?

前回、セルビアのNisの市長さんの話を書きましたが、この近くにBorという銅鉱山の鉱山町があります。ユーゴ-スラビア時代から、日本の商社や、エンジニアリング会社が面倒を見ていて、プラントや設備を売って、技術指導などもやっていたようです。長年操業をやっている鉱山ですが段々と鉱石の品質が悪くなってきたので、歩留まりが悪く中々商売にならなくなってきているので、周りは結構きれいな山川があり、むしろ観光地として再生しようかと悩んでいると、鉱業所の所長が説明してくれました。それで、現在はフル操業しても、一週間に二日くらいしか工場を稼働させられず、従業員も困っているとのことでした。

でも休業状態が続いたら従業員はどうやって日々の飯を確保するのか単純な質問を投げかけてみました。所長さんはきょとんとして、「イヤー別にたいしたことじゃないですよ、みんなそれぞれ実家はほとんどが百姓をやっているので、田舎に帰ればひと冬豚一匹あれば、充分過ごせます」とのことでした。

実際には、会社が閉鎖状態あるいは行っても仕事がない場合は、自分の田舎に帰って、畑仕事をして、両親や夫婦子供と一緒につるんで、共同生活をしながら、何とか生き延びるというのが非常時の原点的生活です。日本だって、ついこの前までは、似たような生活をしていたので、当たり前と言ってしまえばそれまでですが、都会生活しかしたことのない方々にとっては、自分がそのような境遇になったらパニックなるだけで、施策方法が思い浮かばないのが現代の日本でしょう。やはり耕せる土地があれば人は生きていけるようです。百姓は生きて行くための原点です。

あの辺は車で走ると、国道沿いに延々とトウモロコシ畑が続き、所々にひまわり畑があるというパターンで、のどかな田園風景が続いていました。所長さんから、日本で飯が食えなくなったらどうするのか?と逆質問を食らったので、私が代表して「私たちの世代では、大戦中食い物が足りなくて、サツマイモなどは良い方で、米糠や麬(フスマ)を何とか調理して食っていたが、まだこれらはましな方で、最後には蓼(たで)の葉っぱを乾燥させて、粉々にして、増量剤として、糠などに混ぜで食べていたことを説明した上で、ここはでもトウモロコシがあるから結構飢えはしのげるので結構ですね!」と返事をすると、「日本はもっと豊かな国かと思ったが、そんなに大変な国だったとは思わなかった。それにしても日本人はトウモロコシを食料として食うのか?」と変な質問をされたので、「あんた方は食わないのか?」と聞いたら、「冗談じゃない、トウモロコシなんてあれは牛や豚が食うもので、人間は食わない」と言下に否定されたので、なるほどさすがは肉食のお国柄で、当時セルビアはGNIも低く、普通の勤め人や工場などでは、給料などまともに出ない時代でしたが、それでも、昼夜、ちゃんと肉食が山ほど出てきたのを不思議に思っていましたが、これも文化の違いで、われわれ米と野菜の大和民族とは根本的に違うのだと痛感させられた一幕でした。

話は飛びますが、私の縁戚で、満州からの引き揚げ者が、舞鶴港に船が近づいてきたときに、日本の山が緑に包まれていたので、これで生き延びられたと思ったという話を本人から聞いたことがあります。やはり日本人は草食動物なので、コストも安く生きられるようです。

でも都会人はそうはいきませんね! 今日首になったら、明日から食うに困るわけですから。だからといって、政府もあまり当てにならないし、年金もこれからはまともに出そうもないし、生活保護を本当に必要な人は、見栄や外聞を気にして、幼児とともに母親が餓死するという痛ましい事件がありましたが、やはり飯を食うための原点をしっかり、若いうちにたたき込んでおかないと、これからは特に大変のようです。

ちなみに最近のBor鉱山の話を鉱山関係の仕事仲間から聞いたら、最近鉱物資源の国際価格が値上がりしているため、Bor鉱山の銅鉱石でも何とか仕事になっているようですとのことでした。ご同慶の至りです。