若いときの辛抱

大学は学問をするところだから、先生から大いに学問を教えてもらったらよいと思う。しかし、講師をやっているうちに気が付いたことは、彼ら彼女たちは、一般的に親からさえもあまり怒られた経験が少ないということだ。

表向きの学校の勉強は、小・中・高とやってきて、受験勉強をして、大学に入る。もちろん、それも勉強なのだろうが、その間にいろいろな集団(クラブ活動やら)、いろいろな人とのあつれき(けんか、イジメなど)、親との葛藤等々を経験し、自分なりに自己確立を少しずつでも積み重ねていくといったことが、自分たちの生きてきた道だと思っている。

しかし、最近はそういった他人との接触をできるだけ薄くして、あつれきを避け、表面的な付き合いで済ませられるなら済ませたい。だから、何か問題があれば逃げる、引きこもる、話をしない。逆に、話をすれば言い訳ばかり。

そういう若者がだから駄目、などと言うつもりは毛頭ない。そういう訓練を若いうちに教え、諭し、時にはしかり飛ばさねばならない立場の親や、先生や、周りの人たちが、当たらず触らず、あるいは親が子供かわいさに、理屈抜きで、かわいい、可哀想で、自分の懐に入れてしまう。「そんな環境で育てられた人間が、社会に出て満足に諸問題に対応ができるはずがない」と言うと、「いいのよ、世の中みんなそんなもんよ!」と言われてしまう。

なぜか。やはり、よく考えてみると、昔の人は辛抱強かった。なぜって、辛抱しなければ飯が食えなかったから。今は簡単に飯が食える仕組みになっている。だから、会社が嫌になったらプイッと辞めてしまう。結婚しても、子供が出来ても、気にくわないことがあればすぐに実家に帰る。帰るだけならよいが、しゅうとめに怒られただけで実家の親は「離婚しなさい。母子家庭には補助があるし、子供手当だってある。ジジババの年金もある」と、子供の意思など無視して自分たちの今の幸せで全てを決めてしまう。「あんた、少しは嫁として辛抱したら?」などという教育的発言はまずない。

そうして親が離婚したり、暴力をふるったり、いろいろな目に遭っている子供は結構多い。しかし、大方のそのような子供たちは、本音を表には現さずに生活をしている。