日本語が通じない

人間、歳を経ると、巧みなコミュニケーション能力を備えてくるものです。何を頼んでいるのか、正確に確実に相手に伝わります。コミュニケーション能力について、とかく巷では喧しく議論されていますが、議論の余地はありません。

めし!ふろ!ねる! 明快です。私の場合は、以上の3つのアクションでも、何も言わなくても、そこはかとなく「めし」は出てきます! こちらもそこはかとなく察して、出てきた{めし」を食べます。後の「ふろ」や「ねる」は言わなくても勝手に出来ますので、電気や暖房やテレビを消し忘れない限り問題はありません。

何が問題かというと、普通のサラリーマン生活で、同じ仕事仲間でも、「日本語が通じていない」というケースが非常に多いということです。アメリカの心理学者の法則に、こんなものがあるそうです。

Aさんが「a」という仕事をBさんに頼んだ時に、Bさんが脳の中で「b」という先入観があると、「a」という仕事なのに「b」だと思って仕事をしてしまうと、結果は「c」という仕事になってしまうという法則です。これをABC理論というのだそうです。そんな理論を持ち出すまでもなく、事態は目の前にあります。名付けてABCX理論です!!

上記のごとく、AさんがBさんに「a」という仕事を頼みました。ところが、Bさんは多忙のため、Cさんがこの仕事を引き取りました。(よくあるケースです)Bさんは「a」という仕事を頼まれたのですが、彼は、「b」という意識を持っていたので、Cさんにその仕事を渡すときに、「c」という仕事をしてくださいと言って引き継いだわけです。そこでCさんは依頼元のAさんに「c」という仕事を頼まれたので、A さんに直接「c」という答えを返したわけです。それを受けたAさんはどんな反応を見せ、何と言ったでしょうか?(クイズ番組になってきました!)

答:依頼主のAさんは「なーにやってんだよ! 俺はこんな仕事は頼んでねーよ!」と言って、当然不機嫌です。

結果は、AさんがBさんに、おまえ何を頼まれたのか分かっているのか?という会話で、依頼内容を間違って捉えていたことが判明。Cさんは、俺は無駄な時間を意味ない仕事に費やしてしまった。(これも事実)だから俺は悪くない。(これも事実)だけど、何でAさんが怒るのか分からない。Aさんの頼み方が悪かったのではないのか。いや、頼まれた方が確認しないのも悪い。(意見は色々ある)最終的には、XさんがAさんと一緒に事をまとめて一段落という結末です。

こんな風景は、どこの会社でも日常茶飯事だと思います。しかし、当事者はあまり感じないで、話が通じないとも思っていないところが問題だと思っています。

要するに、日本語で会話をしているにも関わらず、話が通じていない。相手が何を考え、何を伝えたいのか、自分の頭の中で勝手に考えたことを相手が伝えたいことだと勘違いしているにも関わらず、自分では「分かった」と思い込んでいることです。

ややこしい言い方をしましたが、簡単に言えば、「相手に確認する」という作業、あるいは「復誦」するという習慣が無くなって、「言い放し」「聞きっぱなし」がほとんどだからということになります。

相手の立場でものを考えれば、もう少しましな対話が出来るはずですが、基本的に生の会話をしたがらないという傾向があるのも事実です。また同じ会社、同じ業種であっても、例えば上記の4人の知識のレベルが違えば、低い知識の人に合わせなければ話が通じないのは当然ですし、異業種であれば尚更です。

私の経験では、一般的に「頭のいい人」が意外と他人に話を伝えるのが下手なようです。理由は簡単で、A=B、B=C、故にA=Cというように説明してくれればいいのに、頭のいい人は自分の脳の中で考えたことが素早く色々出てくるので、会話としては往々にして、いきなり「要は、A=Cなんだよ!」となります。頭の悪い私などは、一瞬、え!え!何で?となります。

実際に、K大学の金時計組の方と仕事をしたことがありますが、私の上司から、おまえあいつ(Mr. Hさん)の言うことの意味が分かるか?と聞かれたことがあり、納得しています。要は、話を飛ばして説明するのです。本人の頭の中ではちゃんと繋がっているのですが…。

放送大学の授業などを聞いていると時々、あ、ここをはしょって説明しているな、ということが良くあります。頭のいい人は是非注意して、優しく丁寧に、こんな事も分からないのか!と言わずに、よく説明してください。

逆に、私は頭が悪いので、5分で済む話を延々と説明して、もう勘弁してくれというくらいしつこく説明します。さらに、人が悪いので、もう分かりましたと言ったら、そうか、では質問するが、これはどういう意味か説明しろ!と言って、さらに相手を追い込みます。

すいません、よく分かりませんとか、違う答えをしたら、またそこから30分は時間を取ります。嫌なやつの代表です。でも、本人が分からないよりは分かった方がいいだろうと親切心でやっているつもりです。(相手がもう勘弁してくれと言っているのは分かった上で)

仕事の話のみならず、趣味にしても、音楽、絵画、花、天文等々、それぞれ知識が異なります。そうしたことを考えれば、むしろ普通に話して、他人が理解してくれることの方が難しいと考えるくらいの方が当たり前なのではないでしょうか。だから知性と教養を死ぬまで磨いて、お互いに理解し合える土俵を広く持つことが、スムースなコミュニケーションが出来るための原点かと思います。

今のご時世は、宗教、民族、言語など、「異なる」ということだけで、差別や排除といった事が世界中で蔓延しているのは事実です。「好きにならなくてもいいから、せめて相手のことを知って欲しい」と言ったのはケネディー大統領です。当たり前の話ですが、このまま行けば第三次大戦も間近という話も聞こえてきます。

あの忌まわしいアウシュビッツが解放されてから今年が70周年になるのですが、生き残った人の何百人も皆老齢化し、少なくとも生き残りとしては、あの現実を語り継ぐことしかないということのようです。

世界中で「めし、ふろ、ねる」といった明確なメッセージと、意思の伝達が出来る日が来れば、争い事が少しでも減るような社会になって行くのではというはかない期待を持っていますが、それには身近な毎日の会話も、相手の立場を考えての対話が出来るようになれば、日本も救われるのではと考えています。