社長の社員教育

大会社の社長といえば新聞に載るような方々が多いが、中には「ポツダム社長」やら運良い社長、ごますり社長等々、世の中必ずしも社長だから立派であるとは限らない。

戦後、GHQのお達しで財閥が解体されたが、苦難の中でその再集結を果たし、終戦後の三井大合同を行ったのが三井物産の水上達三社長(当時)である。

水上社長が平社員をお客さんの通訳としてアシストさせたことがある。あるとき、南太平洋からある市長さんが来られ、社長が一人で応対することになっていた。お客はフランス語なので、平社員の私に直接電話をかけてきて、何時にスタンバイをしていて欲しいと言ってきた。普通、社長が社員を呼びつける時は社員の上司経由で連絡するのが一般的だが、なぜか社長は社内の電話番号帳で調べて、直接電話をかけてきた。もちろん、社長秘書なるものもいたはずだが。

時間が来て呼び出しがかかったので、メモ用紙を背広のポケットに入れて応接室に行き、30分くらいの応対をこなし、お客をエレベーターまで社長と一緒にお送りし、「では、私はこれで失礼致します」と言って帰りかけると、「ちょっと待って。私の部屋に来なさい」と言われた。一瞬「やばい、何かチョンボをしたのかな?」と思って、社長の後をついて、初めて社長室なるところに入った。

社長は自分の木の机の引き出しをごそごそとやっていたが、やがて一冊の金縁の手帳を持ってきて、「君ね、私の会う人は世界でも偉い人が多い。だから、今君のやっている仕事に直接関係ない話でもメモをしておくと、きっと将来役に立つはずだから。これを上げるから、利用しなさい」と言われた。その時はとにかく「ありがとうございました」と言ってその場を退散したが、どう考えてもおかしい。三井物産では、社員に皮表紙の立派な手帳を社員に配っているのを社長が知らないはずがない。多分、私が紙切れのメモ用紙を持っていたので、「そんなものを使わないで、ちゃんとした手帳を持ってこい!」という間接的おしかりと勝手に思い込んでいた。

その後、ラオスに赴任していた時に、役員会という恐ろしい会議に呼ばれて、社長の真ん前で現地状況報告をさせられた。大変数字に強い方で、「それでは、昨年よりこれだけ数字が上がっていると言うことかね?」等と質問され、昨年どんな数字を言ったのか、ろくに覚えていなかったので、恐れ入ったことがあった。

何十年もたって、社長が仲人をされて結婚された方々が、社長の誕生日にホテルに集まってお祝いすることになった。たまたま私の先輩が幹事になり、「何か面白いエピソードなどがありませんかね?」と聞かれた。上述の昔話をして、「その手帳は今でも大切に持っていますが、やはり、紙切れメモ用紙が問題だったのかどうか、ついでに聞いておいてください」と依頼しておいた。

次の月曜日に、私の友人から報告を受ける前に直接社長から電話があって、「昨日は面白い話を聞かせてもらった。今でもあのときの話は覚えているが、純粋に教育的立場から手帳を差し上げたのであって、メモ用紙は関係ない」という。改めて当時のお礼を言い、元気に仕事をしていることをお伝えした。

やはり、昭和の大経営者の一人であることには間違いない方の実践的社員教育ということを、何十年がかりで教えられた出来事であった。