国家の長

日本は輸入食品であふれており、戦時中のひもじい時代に育った自分としては、結構な時代になったものだと感心すると同時に、配給制度もなく、個人の懐次第では何でも食べられる時代が何時まで続くのか、色々考えさせられる時代でもあります。日本政府も、やれ食料の自給率をもっと上げなければいけないとか、いざというときのsecurity cropとしての米はどうするんだというような議論をしているようです。

こんな話を、マレーシアの元首相のマハティール氏が現役の頃、プライベートな旅行で日本を訪問していたときに、たまたま雑談をする機会があり、上記のような話を私的な立場で聞く機会がありました。首相という立場で、食糧の自給問題とか、教育問題、国民の収入、果ては大臣を更迭するときの基本的な考え方など、かなりデリケートな話にまで及んだことがありました。

さすがに一国の首相として、一つ一つの質問に対して、迷いなく即答してくれて、逆にあんたは日本人としてはどう考えるのかといったやりとりまでしたことがあります。やはり政治家としては、明確な理念や根本的な思想があるからこそ、素人の私の質問にも、国家の長として的確に答えてくれ、さらにそこから実際に出来ることを実行するという話を、いくつかご紹介します。

  • 食料の安全保障について

当時、マレーシアは米の自給率が50%前後もあり、結構高かったのですが、パームオイルなどの換金作物も増加し、だんだんと米などの自給率が下がって来た時代でした。

そこで、マレーシア政府としては、米などの主要食料について、安全保障の観点からはどう考えるのかを聞いたところ、Mr. Murano、考えてみてくれ。タイの農民とマレーシアの農民と比べてみて、米を作らせたら、タイにかなうはずがない。無理をしてみても何の意味もない。マレーシア政府としては、せめて、自分たちよりGDPの少ないバングラあたりから米を買ってあげるくらいしかできない。この時代に仮に何か国際紛争などがあっても、金さえあれば、食い物くらいいくらでも調達できる先はある、との発言でした。

それに、なぜマレーの農民はタイより劣るのか聞いてみると、これは労働意欲の問題だけでなく、農地の土地相続問題が大きいようです。イスラム教では、相続人全員に平等に農地でも相続されるので、一枚の田んぼに何人あるいは何十人もの人が地権者としている。そうした農地を会社組織に貸せば、その上がりが煙草銭くらいにはなるということでした。

  • 国民教育について

マレーシアは国民教育にも熱心に取り組んでおられ、また少数民族にも優遇策なども採っておられるが、今後の方針は?と聞くと、我々発展途上国がいくら一生懸命教育しても、先進国もがんばるので、経済面だけでなく、教育面でも結局は追いついていけないのが現実です。従って、どこかでドラスチックなことをやらないと、国民の教育レベルがジャンプアップすることは難しい、とのこと。そこで、JICAやAOTS(現HIDA)といった研修機関もあることを説明しました。

その後、「ルックイーストポリシー」で、日本政府に年間2千人くらいを継続的に受け入れて欲しいという依頼があり、JICA側としては、とてもそんなに一度に大勢は無理ということでしたが、当時の通産省に話をつけ、外務省経由JICAで年間1,000人、通産省経由AOTSで年間1,000人を数年にわたって日本で受け入れ、民間企業での研修も含めて、合計1万人以上の研修を行ったことがあります。

これは政府機関からの人材の受け入れで、研修員には帰国後、一年間の勤務義務を課しましたが、当時首相に、間違いなく民間企業などに移籍する人間も出るのではないか、という話をしたところ、良いんです。それがむしろ狙い目で、国全体がレベルアップすることが重要で、個人がどこで働こうと、それ自体が教育の効果というものです、という明確な説明がありました。

  • マレー人優遇政策について

当時、「ブミプトラ政策」といって、マレー人を色々な面で優遇する政策を採っていました。そのことについて首相は、いわゆる「ブミ」は、放っておけば間違いなく中国系やインド系の人たちとは格差がつくので、ある程度の優遇政策は採らざるを得ない。しかし、「親の子、子不知」で、折角彼らに住宅取得のための優遇政策を採ってやっても、その権利を上手に使わずに、すぐに他人に売り飛ばして現金にしてしまったりするので悩みは多い、と嘆いていました。

  • 閣僚の人事異動

ずいぶん微妙な質問でしたが、ある閣僚が左遷されたことがあり、私は左遷された理由が知りたかったのではなく、左遷された後の彼の処遇の仕方に興味があったので、それを聞いてみると、彼は一般的ではあるが、という断りを入れた上で、マレーシアでは、人事問題で人を動かすときには、基本的に放り出すのではなく、出来るだけ何らか次の口を用意して送り出すようなことを通例としている、とのこと。

その大臣も、国連のある機関に移籍したはずです。日本では、「出る杭は打たれる」という格言もあるがと言うと、出る杭くらいであれば自分で生きられるでしょうという明確な答えでした。

マレー人は基本的には優しいのか、それともそのような優しさを出していられる時代だったのか? 昨今の事情はわかりませんので、そのうち直接本人に聞いてみようと思っています。