日本のNGO

私の長年の友人がNGO活動をやっていて、偉くなりすぎて、昨年叙勲の栄に浴したので、勲章もらうと命が縮むらしいから気をつけた方が良いなどと悪いアドバイスをした覚えがあります。本人は相変わらずお元気なので結構ですが、そんなご縁で、日本のNGOとのお付き合いもそれなりにあります。

私自身は私企業ゴリゴリの商社などにいたので、NGOとはあまりご縁がないと思っていましたが、よく考えてみれば、株式会社だってNGOだし、会計処理上はNPOではないが、時には奉仕の精神で相手国にひたすら尽くして、結果は何らかのリターンを得ることもあるので、NPOみたいな仕事も時には結構やってきた気もします。

そもそも日本で、NPOに法人格を与えるのにどうしたらいいかという話が出ていた頃からの話をしますと、欧米のNPOでは、国際活動は勿論、国内活動でも「法人」格を持つということは当然で、昔日本のNPOが海外で活動する時に、法人格はありませんと言ったら、そんな馬鹿な!?と言われたという単純な話があります。

歴史的には、日本で非営利の活動をする場合は、元々民法で定められた公益法人になるしかなかった訳ですが、これは役所や大企業、金持ちなどを対象としたもので、いわゆるNPO法人(特定非営利活動法人)は、法律的には先の公益法人の特別法として、「特定非営利活動促進法」と名付けられた法律によって、政府から付与される法人格です。この法律は1998年末に施行され、その後少し改訂されたはずですが、これを起案した方が当時の経済企画庁におられ、幾つか海外の件で意見を聞かれたことがあります。

実際に、現時点でこの法律がどの程度不完全なのか、あるいは問題がどこにあるのか、あまりそちらからの観点からは聞いたことがありませんが、所詮日本政府が積極的にNPOをサポートするために作った法律ではないことだけは確かで、時代背景に押されて作った物であることは事実です。

それはさておき、本当に玉石混淆、千差万別というくらい、色々なNGOが活動されています。それぞれご立派な活動をされている方が多いのでしょうが、最近コンタクトのあったNGOの方と話をしていて、少し気になることがあったので、雑談的な話をしてみます。

  • ケース1

大変立派な大手の!? NPOに所属し、インドネシアの貧困対策事業について、現地住民がいずれ自立し、生活が成り立つように支援をするという立派なプロジェクトに参加していた男性に、将来、現地政府あるいは地方自治体とどう関連させるのか、という質問をしたことがあります。彼は、いや、現地政府あるいは地方自治体は何も役に立たず、邪魔なだけなので無視しています、とのこと。

それでも、仮に彼らが貧困から脱して、立派なネシア国民として活躍するようになれば、税金も払わねばならないでしょうし、国家との関わり合いを考えずに、ピンポイントで彼らが良くなれば、それで良いのです、と言われたことがあります。この話をした時から、既に7~8年はたっているでしょうか。

ごく最近、同じ彼にカンボジアの件で話をしたら、まさに彼は、現在カンボジアで活躍していて、山林を切り開いて、貧農民が少しでも子供の弁当のおかずの足しになるようにと、池を作って、魚を養殖したりする活動をやっているという。それでは、もっと利益率のよい国際商品でも養殖して、もっと短期間に貧困の解消を図るプロジェクトをやったらと言ったら、儲かる商品は貧困の格差が生じるのでやりたくないという。

どうやら、貧乏人は貧乏人らしく、金儲けなど考えずに「清く、正しく、美しく」生きさせるのが彼らの仕事だと考えているようです。人間の格差などはどんなことをやっても生じるし、その中で、群れて、何とか生活の向上を図ってきたのが我々で、物差しで測ったように、みな平等に貧乏から脱しましょうと言っても、それは理想で、昔、池田首相が「貧乏人は麦を食え」という有名な発言を残していますが、私はある意味ごもっともと思っています。

また、鄧小平が「豊かになれる者から先に豊かになれ」と改革解放運動のアクセルを踏んだのは有名な話です。確かに、政策的に民に等しく豊かになるような政治が出来ればOKですが、そんな良い方法があったら誰でも採用するでしょう。人間社会では、不平等や理不尽などがあっても、何とか「絶対貧乏」から脱出することを考えるのが、生きるということでしょう。

そんなNGOの活動を見ていて、これで本当に現地の貧乏人が救われるのか、少し気になっているところです。彼自身がウルトラ貧乏とか赤貧に甘んじて、貧困削減活動をやっているという話は聞いたことがありません。理想像の固まりのような貧困削減プロジェクトを目の当たりにして、一度現場を見せてもらいたいと思っています。

  • ケース2

別のケースでは、やはり貧困対策や難民対策に取り組んでいる小さなNGOで、メンバーは女性がほとんどとのこと。一緒に仕事をやろうと思い、一体どんな仕事をやっているのか、事務所にお伺いして聞いてみたところ、例のシリアの内戦で、難民化した人たちのキャンプで、難民の面倒を見ているとのことでした。

そのキャンプも国連が設置し、既に10万人以上の都市になっているとのことで、その中の5から6分の1位を、このNGOのテリトリーとして任されているようです。基本的には、必要経費は国連関連の経費のようですが、水はゴミなどのインフラは何もなく、これからそれらインフラの整備もしなければならいとのことでした。場所はヨルダン国内です。

簡単に面倒を見ると言っても、水関連の管理や、組織作り、冬には非常に寒くなる地域ですから、防寒具の支給や、子供達の教育問題など、幾ら働いても追いつかない、また幾ら金があっても十分ではないという状況だと思います。

当然、日本政府はJICA等を通じて、物や金は出しているのでしょうが、実際にそれらをハンドルして、上手にマネージするのはJICAの職員だけでは到底出来るはずもなく、役割分担と言えば聞こえは良いのですが、もっと政府側から、これら実際に現地で活動しているNGOに対して、上から目線ではなく、運命共同体として難民救済をするという姿勢が、どうしても我々から見ると無いのが気になります。

例えば、広報にしても、JICAでは、日本政府あるいはJICAとして、これらキャンプに対して、何々を寄贈したとか、表面的なことしか書いてありません。我々民間が、入札か何かで物を納めるのとは訳が違いますので、官民一体とはこういう時に使う言葉で、言ってみれば、現地で日本政府から贈られた「物」を配ったりするのはNGOで、彼女たちがいなければ、スムースな配給は出来ないはずです。むしろ主役はJICAではなく、まさに現地で下働きをしている人たちのはずです。彼ら、彼女たちが主役ですから、こうした現場を、黙々と縁の下の力持ちをするのが、日本政府機関でなくてはならない類の仕事です。

このNGOの組織は、ある意味小さい組織ですが、私から見ればやっていることは出口の見えない闇の中の仕事のようなもので、大変貴重な仕事です。だからこそ、これらNGOにまずは世界的なNGOとして、主体的に海外で活動が出来る事を目標にして、遠くを見つめて、組織作りも、宣伝も、金集めも、しっかりやれるようになることが重要と声援を送っています。この世界も民間の仕事と一緒で、国際化と一言で言いますが、とても日本の組織としてはまだまだ国際化というにはほど遠い位置にいるはずです。

先日、韓国で悲劇的な海難事故がありましたが、日本の海難救助隊組織は、多分世界に冠たる技術を持ち合わせているはずで、官・民・NGOを問わず、こうした仕組みが世界で普遍的に認知されるためには、それぞれの組織が真の国際化を遂げることが重要で、何時も日本の中でがんばっていますというのは、別の意味でもったいない話です。