もの作りとアフターサービス

形ある物が壊れるのは常識。壊れたら直すというのも常識と思ったら、そうではない。壊れたら捨てるのが常識!? しかも、捨てるにも金がかかる…。

しかし、ちょっと待って欲しい。この常識はもう何十年も前に、大量生産・大量消費の時代のスローガンで、その流れの中で、お為ごかしの発想で金儲けを企んでいては、発展途上国が喜ぶだけで日本の消費者は不満、不信を募らせるだけです。

こんなシステムが何時まで続けられるのか分かりませんし、永遠に右肩上がりの世の中なら何とかなるかもしれませんが、どう見ても、そう簡単にはいかない。特にこれからはあり得ない世界です。そのへんのところを、自分の身の回りの家電品などの実例で検証してみます。

  • その1:ワイドテレビ

家庭の身の回りの品などは、だいたい10年近くも使っていればどこかは痛んでくるものです。ある日突然、テレビの電源は入っているが、画面が真っ暗で出てこなくなった。早速東芝のサービスセンターなるところに、さんざん待たされた挙げ句にやっと繋がって、事情を話した。答えは現物を見てみないとなんとも言えないので、お伺いしても良いが、出張費がかかるという。それでも良いからと来てもらった。

診断結果は、液晶にはテレビは映っていますが、裏からライトを当てて画面表示が出来るようになっているので、そのライトが切れているので、映らないという。わかりやすく言えば、映写機のフイルムは回っているが、光源がないので映らないのと同じ原理で、そのバックライトやらは蛍光灯と同じなのです、という。

そうなら、蛍光灯って、何年かたつとおかしくなるので、そのライトだけ換えればいいんですか?と聞いたら、いいえ、セットで変えないといけないので高くつきますという。いくら位するのかと聞いたら、6~7万円くらいだという。それなら新しいテレビが買えるくらいの値段じゃないですか?と聞くと、そうですという。

それでもしつこく、テレビの画像を作る機能と、これを映すバックライトとは機能的には異なるものなのですか?と聞くと、機能的には異なるものだという。そうなら、強いて言えば、バックライトとテレビ映像装置は分かれていて、セットされて、映るわけですよね?と念を押すと、そうですという。

禅問答のようなやりとりをして、修理担当の方はお帰りになった。納得がいかないので、ネットで調べてみると、同じような目に遭って、修理しないで新しいものを買わされたという人が多いようでした。

仕方なく量販店でも聞いてみようと思い、ベテランの販売員に聞くと、最近のテレビのバックライトはLEDになっているので、切れにくいという。ライト切れのケースは、ほとんどのメーカーが例外なしに、これをチャンスと、買い換えた方がいいですという方向だそうだ。

結局は新しいものを買う羽目になったのですが、そのうちあの引き取られたテレビはどう処理されるのか、是非調べてみたいと思っています。そのまま、焼却処分にされているとも思えず、資源回収されているのか、はたまた途上国へ修理して回されているのか、いろいろ気になるところです。

  • その2:風呂場の蛇口

以前はよく、水道の蛇口のパッキンなど自分で取り替えたものですが、最近は水道の蛇口の水漏れで、パッキンなどを取り替えたこともないので気にしていなかったのですが、10年くらいたった風呂場の蛇口から、ぽた、ぽた、ぽたと、一滴ずつ漏れてきたので、先ずはメーカー名を調べて、マンションの出入りの業者がいるというので、地場の電気屋(水道屋さんではない)さんに電話をかけて聞いたところ、メーカーはINAX(昔は伊奈製陶という、愛知の名門のはず)だが、最近、何社かと合併して、新しい会社になった由。

いずれにしても、そのモデルはとっくにサービス期間が過ぎていているし(3~5年くらいでサービスが切れてしまうようだ)、後継機種だと10万円近くしますよと言うので、なに!? あの金属の本体丸ごと換えなくてはいけないのですか?と聞いたら、中にスクリューがあって、その部品が多分供給しないはずという。

只の水漏れだと思うが、パッキンだけ取り替えるような構造になっていないのか?と聞いたが、要領を得ない。その電気屋さんは、まあその程度の水漏れなら、何ヶ月かはもつと思うので、しばらく使ってみてください。いざとなったら、TOTOの少し安いのをストックしてあるので、それを取り付けるという。

それで、INAXの修理サービスセンターなるところに電話をして事情を話すと、そのモデルはもうアフターサービスはしていないという。でも、パッキンなんてどうぜ口径は似たようなものだから、いくらでも供給できるのでは?と言ったら、そういう仕組みになっていないという。

それでは、どのような機種があるのかと聞いたら、後継機種はこれこれですという。いくらかと聞いたら、10万円近いという。ぽたぽた漏れで10万円を払わなくては直らないシステムか?と聞いたら、他にも取り付け可能な機種はいくつかあるというので、なんで一度に全部の話をしないのか?と聞いたら、申し訳ありませんと謝るので、謝って欲しいわけではなくて、どうしたら、単純にしかも安く修理が出来るかを聞きたいのだというと、修繕の窓口は別の部門でやっているので、そちらに電話をしてくれと言う。

ひえー、修理サービスセンターというところに電話しているのに、実際の修理に来てくれる費用などは、同じ会社の中なのに、お客に別途電話をさせるんだ!と聞くと、そういう仕組みになっていますという。要するに、INAXはお客に迷惑をかけるのは何とも思っていなくて、自社の都合のいい方法で、客のことなんか屁とも思っていないんだ!と開き直ると、そのような決まりになっていますという。

あきれて物も言えないので、それでは取り付け可能な機種の値段表を作って郵送してくださいと言うと、お送りしますというので、お待ちしていますが、10日たっても、なんの返事もありません。

3機種くらいの値段表なんて、5分もあれば作れるでしょうに、多分社内で、はんこをついて大げさに書類を作っているか、または無視して何も返事をしないか? さてどちらでしょうか?

上の2つの例は、普通に日本の社会システムとして通用している方法です。しかし、ここで考えて欲しいのは、このシステムは、永田町の政治のように、国民(消費者)の意向や希望を聞くのではなく、政治家の都合で物事を決めていくことに非常に似ています。前回の選挙でも、自民党の当選した人数ほどには、国民(消費者)の票数は自民党に入っていないのとよく似ています。

要は、日本のもの作り会社、特に家電品のように大量生産タイプの商品では、上記のような現象が腐るほどあるということです。しかし、こんな仕組みをいつまでも続けていたら、結局は滅びの道に繋がることを自覚した方がいいのではと思います。

日本には中小企業というより、小企業や個人企業で、世界に通用する立派な商品を作り続けている会社がいっぱいあります。たとえば、美容師さんの使う髪切りばさみや、美術品修理用の刷毛とか、世界中に愛用者がいます。変わったところでは、のこぎりの目立屋さん等は、単に木を切る時の目立てと、釘などが刺さった木を切る時の目立てを変えて、使ってもらうサービスというより、技術を売りにしています。

こうして、日本のもの作りは伝統的に長持ちして、使いやすいというのが世界の評価です。そうした良いシステムや良い哲学を自ら放棄して、安物の経済評論家の理論に乗っかってもの作りをするのは、そろそろ考え直した方が日本のためにもなるかと思いますがいかがなものでしょう。

蛇足ですが、韓国や中国がなぜ世界の一流品と言われる商品を作れないのか、歴史や考え方を勉強するいい時期ではないでしょうか。