高齢化社会とその生き方

100歳以上の人口が5万8千人を超えているそうで、今後毎年2~3千人、増加する予定だとか。平均寿命が男女ともに80才を超えるような現在ですから、当たり前といえば当たり前ですが、その位の年になると、仮に膝が悪く、車いす生活であったり、場合によっては寝たきりだったりしても、自分はとっても幸せを感じて生きているという。死ぬことも別に怖くはないという。

こうした事を医学的に研究しているお医者さんによると、脳細胞に何とかいう物質が増えて、そのようなものの感じ方が出来るのだそうです。

こうした方は稀な方たちなので、今回の話題は、むしろ最近会社を定年になり、さてこれからどうして毎日を過ごそうかという方たちを取り上げたいと思います。

私事になりますが、私のおやじは94まで生きましたが、幸い生涯ぼけずに過ごすことが出来ました。毎日時代劇のTVを見て過ごしていたので、あるとき、「じいさん、今何時代か?」と聞いたら、水戸黄門のTVを見ながら、「そりゃおまえ、今は江戸時代だぞ」と言って、にやっと笑っていたので、たまには外出でもしたら?と聞いたら、どこかに連れてってくれるのか?と言うので、どこが良いのか聞いたら、ストリップ劇場にでも行くか、というので、近場に出かけるかと言うと、とんでもない、ストリップなら浅草でなきゃだめだ!との返事。明治生まれはさすがです。

ところで、最近定年を迎え、毎日が日曜日の生活を送っておられる人の話をTVでやっていましたが、大手繊維会社の役員までやった人が、自分の趣味にと天体望遠鏡を買い、色々な趣味やゴルフなどをやっているが、どうもしっくりこず、「無理矢理楽しくやっている」感じなのだそうです。ご本人に言わせると、どうも他人から必要とされているというようなスタンスでないと、何をやってもあまり面白くないのだそうです。

別のケースでは、朝起きてきてから、自分の席に座り、しかも椅子を改造して、キャスター付きの事務所の椅子のようにして、少し移動する場合には決して自ら立ち上がらず、椅子ごと移動をして、お茶、パン、牛乳…と奥さんに次々要求し、出てきたものをただひたすら食べるという生活で、奥さんが外出するとなると、俺の昼飯はどうするのか?という事だけが心配事なのだそうです。

どうもこうしてみると、究極的には人間はもともと群れて生きている動物なので、定年後、人との接触も激減する中でも、自分が他人と何らかの人間関係があるということが重要で、出来れば世のため人のために自分は役に立っているんだ、という存在感があればなお結構ということなのかもしれません。

私の知りあいで、定年後、ちょっとした電話番でもしてもらえれば助かるという話があったが、「何もしたくない、電話をとるのもめんどうだ」ということで、すべて断って自宅に引きこもった人がいましたが、これなどは全く「燃え尽き症候群」としか言いようがありません。

やはり人間生きていて、飯が食えている以上、できれば人様のお役に立つか、それが出来なくても、せめて人間の群れの一員として存在しているというだけでも大事なのではないかと思います。