人間に見えているもの

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

自分のマンションの植栽を担当していて、花や植物の啓蒙的意味合いで、マンション内に、毎週、季節の植物を文化史的な立場から、ちょっとした随筆調の文書を書いています。

昨年秋に、紅葉や黄葉がなぜ起きるのかの解説を書いていて、生物の世界から突然、物理の世界に入り込んでしまいました。まず、なぜ紅葉が赤くなるのかを説明する前に、そもそも赤く見えるということはどういう事なのか?というところから始めて、昔の物理の教科書を引っ張り出して、記事を書きました。

そもそもものが見えるためには「光」が必要で、真っ暗なところでは、赤も黄色も何も見えません。光があってものが見える。では、光とは何なのですか?と聞かれれば、ラジオやテレビの電波や、レントゲンのX線も、可視光線もみな同じ系列で、電磁波の一種です。それぞれ、波長が大きい短波では50m、可視光線で750~400nm(ナノメーター)、X線で可視光線の1/1000位の非常に短い波長の電磁波です。

大きい順位に並べると、電波-光(赤外線-可視光線-紫外線)-X線-γ線となります。この可視光線近くを少し詳しく見ると、可視域の波長は800nm~400nmで、波長の大きい方から順に赤、橙、黄、緑、青、藍、紫です。この外側の赤外線や紫外線は我々の目には見えません。

図示しますと、次のようになります。

白色光と波長の関係
(©株式会社日立ハイテクノロジーズ)

それでは、赤く見えている紅葉の葉っぱは、本当に赤いのでしょうか?

実はそうではなくて、秋になると、紅葉にも好きな色と嫌いな色があり、好きな色の光は自分で取り込んで、嫌いな「赤」を反射させて外に出しているので、それで私たちには、その紅葉が吐き出した(拒絶した)赤い色が見えているという理屈になります。

この取り込んだ色と吐き出した色の関係を「補色」とか「反対色」の関係と言いますが、おおざっぱに言いますと、赤―青緑、橙―青、黄―青紫という関係になります。それでは、葉っぱが緑に輝いているときには、逆に赤に近い色を吸収しているという事になります。

枯れ葉が最後に地べたに落ちて、赤や黄色だった葉っぱがだんだんと茶色になり、腐葉土の「茶色」になりますが、茶色は橙色の濃い色ですから、結局、赤、黄、橙といった「同系色」の色に見えるようになるのが「枯葉」ということになり、枯葉側からすれば、好きな青や緑の光を吸収していますという事になります。

ここまではあくまでイントロです。ずいぶんややこしいイントロですが、これからが本番です。

私たちの目に見える範囲は所詮この範囲でしかないのですが、この見えている範囲以外で、テレビやラジオや医者に行けばレントゲンを撮り、福島の原子力発電所に行けば、色々な種類の放射線が飛んでいます。また、普段パソコンなどでも、赤外線等も使っていますし、台所で電子レンジなども使っています。TVの操作にも、この種の電磁波を飛ばして生活しています。

人間だって微弱な電磁波を発信しているので、「私、あの人にビビッときちゃって、好きになりました」などと言われる方は、もしかして、電磁波が見えたのかも知れません!!

そこで質問です。この世に存在している、短波や長波、レントゲン、赤外線など、知られているような電磁波がもしこの目で見えたら、多分発狂するのではないでしょうか? 多分まともに生きてはいけないのではないかと思います。

また、もしあなたの目玉が電子顕微鏡のような目だとして、それぞれの物質の分子レベルでの動きが見えてしまったら、頭がくらくらするような状況に陥るのではないかと想像してしまいます。

いずれにしても、神が「人間としてはこの程度が見えるくらいで丁度良いのだ!」と言ったかどうかは分かりませんが、自分はとてもよく見えていると思っても、所詮その中のほんの一部を見させてもらっているにすぎないわけです。人間以外の鳥や動物やあるいは植物が、我々人間よりも遙かに優れた視覚や感知能力があって、この地球上に起こった物事を的確に把握していると考えるのが妥当でしょう。

従って、せめて見える範囲の事柄を謙虚に受け止めて、改めてこの世がどうなっているのかを見直して見るのも良い機会かも知れません。

清少納言が枕草子の第一段で「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」と書いていますが、この観察は実に鋭く、明け方、日の出寸前の太陽光が白色光になる前に、分光現象で、細くたなびく雲に薄紫色が見えたというのは、ひょっとして、彼女は物理学者では?等という思いをはせるのもよいのですが、せめて都会に住む我々としては、僅かな自然がどんな生き方をしているのか位は、よく観察してみると、普段見えないものが、見えてくるかも知れません。