世相とは

明けましておめでとうございます。昨年には、あちこちで国家の指導者が決まり、日本を始め今年はどうなるのか、見ものです。

新年だからといって、世の中ががらっと変わるわけでもないでしょうが、どう考えても最近の世相はとてもいいと言える状態ではない。これからどうなるのか? 先のことはわからないので、少し時間軸をのばして、昔はどうだったのか、終戦直後の世相を思い出してみることにしました。

あの忌まわしい戦争中、我が家は千駄ヶ谷にあったが、なかなか空襲で焼けてくれないで、5月の大空襲でやっと焼け出された。父親が、これでやっと皆様の仲間になれました、どうも自分の家だけが焼け残っていると、肩身が狭い感じがして居心地が悪いといったことを周りに言いふらしていたことを思い出す。わずかな家財道具を背負って、焼夷弾がばらばらと落ちて来る中を、神宮外苑まで避難して、次の朝には、その荷物が持ち上がらなかったという。火事場の馬鹿力とでもいうのでしょう。

その後終戦となっても、街は焼け野原で、私自身は小学生で、赤坂の焼け跡で百姓をやって、カボチャだのジャガイモだのを作って飢えをいやしていた。ほとんど物などはなく、それでもなぜか皆底抜けに明るい気分がみなぎっていたのが嘘のような時代だった。勿論上野の地下道には浮浪児がたむろし、新橋の駅裏、今の機関車のある西側には泥棒市が立ち、そこでは他人の着ている物を「これ幾らで売る?」などと言った世相であった。

米兵は、ずだ袋にたばこやチョコレートを入れて小遣い稼ぎのために、「How much?」しか知らない大人を相手に商売をする。小学生の私は、給食といえば当時は味噌汁だけで、その味噌汁の具だけを各人がお椀の中に入れて持って行く。朝、当番がバケツを持って回収に来るが、まともな野菜を金で買って持たせる家庭はいい方で、自分たちは、食べられる雑草を摘んで、お椀の中に入れて行き、バケツの中に素早く投げ込んでいた時代だった。

だからといっていじめに遭うわけでもなく、皆仲良く焼け跡で草野球を楽しみ、日暮れにはろくな晩飯も出ない家庭にそれぞれが帰って食事をする、まさに「三丁目の夕日」の世界でした。

ではいったい現代はどうなっているんでしょうか? GNIは未だに世界第3位、物はあるが金はない?!といったって、最近餓死した人の話は聞いたことがない。いざとなればコンビニの期限切れの弁当だって手に入れる方法もないわけではない。

しかし、乳児幼児が親に虐待されて命を落とす。中高生がいじめにあって、学校に親と一緒に相談に行っても取り上げられずに、自殺する。街ではいきなりナイフで斬りつけられる。何でこんなに暗い話が多すぎるんでしょうか?

もちろん昔だって犯罪もありましたし、いじめだってありましたが、こんなに暗いのは、やはり都会生活で、孤立した個人が、頭の中だけで生きている。世の中の物差しは「かね」。確かに都会生活では金が不可欠ですが、その指標はGNIのカーブで右肩上がりなら良しとする。

でもそれだけで人間、生きているわけではない。心の曲線の接線の方向が時間軸に対して右肩上がりでないと、人は楽しいとか幸せは感じられないでしょう。だから、酒を飲んだり、趣味で心を和らげたりして、何とか人生を送っているのだと思います。皆様はどうお考えでしょうか?

発展途上国の開発に長年携わった方が、「開発とは、そこの人々に幸せを感じてもらうことです」と言われていますが、まさに我々先進国と言われる人こそ、心の幸せを感じなければ、とても他人様に開発などというおこがましい支援など出来ないと思っています。従って、今年は心の幸せが感じられるような「世相」になってほしいという願いを込めて新年を迎えたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。