旧ユーゴスラビアの内戦と戦闘

旧ユーゴスラビアは第二次大戦中、ドイツやイタリアに支配され、戦後、パルチザンをやっていたチトーが新社会主義を標榜して、現在のセルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロなどをとりまとめて、連邦国として何とかバランスを保っていました。

しかし、旧ソ連邦としての位置づけにあった東欧諸国が民主化し始めると、チトーが亡くなったあと、上記の国々が5つの民族と3つの宗教という複雑な枠組みの中でそれぞれ独立運動を始め、その紛争が「ユーゴスラビア紛争」と言われています。その中には、スロベニアの独立戦争「十日間戦争」、セルビアとクロアチアの「クロアチア紛争」、首都サラエボを中心に起こった「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」などがあり、このような諸紛争が1991年から2000年まで延々と続いて、最近やっと落ち着いているという状況です。

紛争後、ご縁があって日本アドリア経済委員会(旧ユーゴスラビア経済委員会)の副会長を拝命し、紛争の跡が生々しい2001年に政府代表ミッションとしてこれらの諸国を訪ねた時の現場の様子をご紹介しておきます。

  • 墓場と化した国立競技場

サラエボの町は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承権を持つフランツ・フェルディナント大公が、町を流れる川の橋のたもとで暗殺されたのが第一次大戦のきっかけとなった町として有名ですが、その背景は実に複雑で、ナポレオン時代からの、フランス、ロシア、ドイツ、オーストリア、ハンガリーなどとの確執が絡んでいて、未だに歴史家の間でも色々の議論があるようです。

まだ紛争の生々しい雰囲気が残っているサラエボの空港から、バスで町中に入って行く途中で見た景色は、爆発で壊れたビルや、ちょっとした空き地に所狭しと並んでいたのがお墓でした。一体何で道路沿いにこんなに墓ばかりが並んでいるのか、初めは理解が出来ずに、案内をしてくれた方に単純な質問をしてみると、「明日御案内するところをご覧になれば充分答えになるので、明日まで待っていて下さい」と言う。

翌日、上述の第一次大戦発端の「名所旧跡?!」を見学した後、国連軍として派遣されたイタリア兵士が銃を持って巡回している町中を訪れたが、私たち日本人の感覚としてはあまり理解していなかった町中の風景が目に入った。町は道路ひとつ隔てた右側がイスラム圏の人たちが住む居住区で、家の造りもイスラム風木造建築で、左側がキリスト教徒達の住む地区で、その奥がロシア正教徒の住む町と、綺麗に分かれていた。同じ聖典の民である一神教同士がこんなに近くで分かれて住むという感覚が理解しにくいところです。これで一旦事が起これば、殺し合いになるというのもあまり解せない世界です。

その地区を案内された後、小さな盆地にすっぽりはまり込んでいるサラエボの町を、小高い山から見下ろす場所に連れてこられた。そしてここから、あの遠くに見えるビルとビルの間に人が通るのが見えるでしょうと言いながら、銃を構える仕草をして、ここからまるでスポーツの射撃をするように、今日は何人殺したと言って、お互いに自慢し合っていたという。

一体殺した人の民族や宗教が分かっていて、憎いから殺すとか、悪い奴らだから殺すという感覚ではなく、もしかして同じ宗教かも知れなくても、狙撃して楽しんでいたという。それでは幾ら命があっても足りないし、何の為の紛争なのかも理解が出来なくなる。

結果として残ったものが、あのお墓の群れです。最後に、町中のかつて冬季オリンピックを開催した国立競技場に案内されて、見たものは、400メートルトラック中いっぱいにひしめき合っている墓石群でした。

一体何のための紛争なのか、何のための殺し合いなのか? 私自身、少なくとも容認は出来なくとも何となく理解は出来ると言う所までは理解してみたいが、全く私には理解できない世界でした。ただ紛争が起きやすい世界であるとか、歴史的にこの様な小さな国から大きな戦争が始まったのだという事実はわかるが、それではそこの関係者達がただただひたすら闘争が好きな人たちだったという結論しか説明は出来ません。

  • クロアチアとセルビアの紛争

この紛争は、形としてはキリスト教徒のクロアチアがイスラム教徒のセルビアから独立するという紛争であったと説明されています。

現在のクロアチアとセルビアの国境沿いには、まさにキリスト教徒とイスラム教徒が混在して住んでいた地域があります。そこで起きた色々な紛争はテレビでも報道され、普段仲良く混在して住んでいたのに、一旦事が起きるとお互いに殺し合いを際限なく続けていたようです。

私が聞いた話で一番ショックだったのは、単なる殺し合いならまだわかりますが、問題はその後の処理問題です。お互いに殺した相手の死体を肥料プラントにぶち込んで、肥料にしていたという証言が一杯あるようです。

人間死ねば有機性廃棄物であるという即物的な説明は分かりますが、我々日本人がこの様な感覚で殺した相手の死体を肥料プラントにぶち込むという行為を一体行う可能性があるのか?ということです。個人的な遺恨や最近の特殊な環境での殺人事件では状況が異なるのでわかりませんが、少なくとも、宗教戦争とか民族紛争とかいった紛争の中で、集団でこの様な行為が今の時代に現実に起こっているということは、理解は出来なくても認識をしておく必要なありそうです。

そのような話の結論は、「人間は救いがたい動物なのでは」という寂しい方向しか見えてきません。せめて一般的には多神教であると言われている我々日本人が何か出来ることがあるのではと思っています。

たまたま私の通っているスポーツジムに禅宗の僧侶がいて、彼が、目黒のサレジオ教会で、年に一回、サレジオ教会の牧師と、イスラム教の関係者と、禅宗の坊さんと、神道の神主さんらが一堂に会して、聖書を読んだり、コーランを読んだり、お経を読んだり、祝詞をあげたりして、目黒区長も一言「世界の平和に協力します」という宣言などして半日過ごすというイベントがあるそうです。

最近、昨年のパンフレットを頂きましたが、今年の催しには顔を出してみようかと思っています。せめて上述のような救いの無いような話にはならないような動きになれば、気持ちだけでも救われるのではと思っています。