コミュニケーション能力とコミュニケーション・スタンス

どこの企業でも、学生に求められる重要項目のなかでは、コミュニケーション能力が一番重要と答えている人事部が多い。一体どんなコミュニケーション能力が求められているのか? そもそもコミュニケーション能力とは一体どんな能力なのか?

話を少し飛ばして、ごく最近、都心の大手の本屋に行って、ロマン・ロランの「魅せられたる魂」の一番出だしのところをチェックしたかったので、岩波文庫本を見ようと思って探しましたが、全く見当たらなかったので、本屋の検索機能で調べたが、全部答えは「ございません」と出てしまった。本屋のお姉さんに事情を話したら、彼女のパソコンで調べてもらった結果は、すべて「出版しておりません」し、「重版の予定もございません」というのが答えでした。

以前は所狭しと、欧米の文学書が並んでいましたが、大手の本屋でも、確かに最近ちらっと見ても、いわゆる外国文学の古典、もしくは準古典に属するような本がほとんど置いてないのが気になっていました。

そこで、大学院を出た40代の男性に、調査質問(意地悪質問!!)を試みました。

【Q1】あなたの知っている、あるいは読んだことのある欧米文学書はどんなものがありますか?

【A1】思い出しても、何も思い浮かびません。いわゆる文学書は読んでいないと思います。

【Q2】それでは、読んでいなくても良いから、ロマン・ロラン、アンドレ・マルロー、アルベール・カミュ、ジョン・スタインベック、パール・バック、タゴールとはどんな人か分かりますか? あるいは作品にはどんなものがあるのか?

【A2】インドのタゴールは知っています。(これは立派! でも後はちんぷんかんぷん。名前も聞いた事がないし、作品の名前を言っても、全く分からないようでした)

【Q3】では学生時代にどんな本を読んでいましたか?

【A3】西村京太郎などの文庫本を読んでいました。

以上が意地悪質問の概要です。これでは本屋さんも、経済原則に従って、週刊誌程度か、気休めの面白本かを棚に並べる以外致し方ないですね。「この本は人生の糧になるから」なんて言っても、スマホでゲームでもしていた方が楽しいのでしょう。

話を戻します。

一般的に、大卒の新入生と仮にコミュニケーションを取ろうとしたとき、一般教養とされる範囲の中で、どれだけのことを彼らは分かっているのか? すなわち、コミュニケーション能力というのは、一般教養の知識であったり、経験であったり、そうした会話を行うに当たっての基本的な知識が無ければ、そもそも会話が成り立たないということです。

上記の文学問答では、皆ノーベル文学賞を取った方たちばかりです。しかし文学に限らず、ごく日常のサラリーマン世界の会話でも、一般常識と言われる範囲のことでも、人によって相当のギャップがあります。従って、コミュニケーション「能力」を高めるということは、「知性や教養を高める」と言い換えても良いのかも知れません。しかし、これはそう簡単に高められるものではありません。一生の勉強が必要でしょう。

大学の3年生に、「社会に出るに当たって」という話で、知性と教養の話をしたら、学校を卒業するまでには、知性と教養を磨いておきたいと思いますと言った女生徒がいましたが、そんなに短時間に知性と教養が磨けるなら、是非教えて欲しいくらいです。

それでは、そうした「能力」をまだ持ち合わせていない人は会社でコミュニケーションが出来ないのか? そんなことはありません!

では、最も大事なことは何でしょう。コミュニケーション・スタンス、すなわち相手と話をするときの「態度」でしょう。まずは相手の話をしっかりまじめに聞くという「姿勢」の無い人が、まともなコミュニケーションを取れるとは思いません。「能力」がない、あるいは足りないなら、せめて「態度」だけはしっかりしておくことが、「能力」を高めて行くための基本姿勢だと思います。

「新入生に求められるコミュニケーション能力」とは何か、前述の人事部のある人事担当に本音を聞いたら、なんと「名前を呼ばれたら、せめて返事くらいはして欲しい」というのが求められる能力だそうです。私に言わせれば、新入生たちは「馬鹿にされている」のですよ。返事くらいちゃんと出来ますよ!と言ってやれ、と言いたいのですが、もしそんな人が大勢いるなら、文科省ではなく、厚労省管轄の保育園で、「さあみなさん、おなまえをよばれたら、げんきに、はーいとおおきなこえで、おへんじしましょう!!」と、そこまで戻らないと駄目ですかね?

実際の所、コミュニケーションなんて格好つけた言い方はともかく、会社で大事なのは、ただ話をし合うだけでなく、対話(ダイアログ)が大切ですね。AさんがAという意見を、BさんがBという意見を述べ合うだけでは話になりません。2人が話し合った結果として、Cという意見にまとまった、ということが大事でしょう。

これらは交渉ごとや、トラブル解決など、様々な状況下で、こうした必要性が、毎日と言っていいくらい出てきます。しかしそれを実行し、結果を出すためには、やはり知性と教養、すなわち「能力」が結局は必要になります。またメールなどの飛び道具ではなく、直接人と会って、顔色や、相手の気分などを察しながら話をするということが非常に重要です。

最近ある大手のお偉いさんが、どうもうちの社員はお客さんとの対話効率が悪いので、原因はパソコンによるe-mailが災いしていると考え、週に1回だけ、パソコンによるコミュニケーションを禁止し、お客と直接対話をするよう仕向けたところ、大変効果があったという話があります。

PCのメールやスマホその他の飛び道具も上手に使えば便利ではありますが、やはり使い方を間違えると、気がつかないうちにとんでもない所に迷い込むことになります。本来人間同士の接触と言うのは、直接会って話をするのが原点です。そうしたことで群れ社会の中での訓練が出来るわけですし、場合によっては、知らないことを教えられたり、教えたり、礼儀作法や、受け答えなど、また個人の個性のある会話体も生まれてくるというものです。

それと最近はほとんど書く機会もないとは思いますが、社会人になったら、せめてはがきの一本や、個人宛の手紙でも結構ですから、はがきや手紙の書き方も、一般教養としては、身につけておくべきでしょう。

今更手紙など書く機会は会社ではありませんと言う方が多いかも知れませんが、ラブレターでも結構ですので、是非書いてみて下さい。電子メールやスマホで文章というより、会話体の文書を書いていただけでは、実際に他人様と直接面談したときに普段の癖が出て、失敗することもあります。

それに上述したように、良い「本を読む」事は、知性や教養を高めるためだけではなく、仕事上でも、自分の判断力や、価値観などを高めて行く上でも、ネットで雑知識をため込むよりよほどためになるはずです。

ちゃんとした会話が出来る人は、相手から見ても気持ちの良いものです。コミュニケーション能力などというのは、特別なことを考えなければならない話ではなく、生で相手としっかり話が出来る、また相手の話をしっかり受け止めるだけの、感光能力を高めて話をする。そして暇があれば本でも読む。これらのことが日常で出来れば、だんだんと能力は上がってくるはずです。

読書については改めて書くつもりですが、サラリーマン生活でハウツーものや、週刊誌程度のものは、読むなとは言いませんが、さらっと読み流す程度で十分だと思います。本来ハウツーものなどは、自分で書く位の気構えがあった方が、ハウツーを考える上では正解だと思っています。