壊れたら買い換える

あるとき、家で使っていたE社製のプリンターが、プチッという音を最後に、うんともすんとも言わなくなった。保証期間は過ぎていたのですが、念のため、メーカーに電話して、故障の原因と直す方法について聞いてみた。他のどこも悪そうな所もなく、部品でも取り替えれば直るのでないかという甘い期待を込めて色々と質問した。

こちらも単純に聞いたのでは、「見てみないと分かりません」という通り一遍の答えしか返ってこないことは予測して、インターネットで同様の事態が起こっていることを期待して調べてみたら、結構この種の情報も多く、且つ同じような状態で壊れて動かなくなったケースが多かった。

それを踏まえてメーカーと交渉した結果は、上記の通りの答えだったので、同じような壊れ方をしているので、何が原因かだけでも教えてもらえますか?と聞いたら、私どもは技術者ではないので、お答えできませんという。

では、技術者と話したいから折り返し電話をくれと言ったら、後刻電話が来て、どういう事でしょうかと言うから、壊れた状況からはプリンターのヘッドがショートしたような音で、そこを直せば使えるのではないかと思うが、ネットで調べると、同じような壊れ方をしているケースが多いようなので、原因は分かっていると思おうけど、如何でしょうか?と聞くと、いえ当社と致しましては、現物を拝見してからでないと何ともいえませんという。

それでは、もしこのプリンターをそちらに発送して、仮に直してもらうとしたら、幾らかかって、どのくらいの期間か教えて下さい、と聞くと、金額については分かりませんが、どんなに安くても、小一万はかかり、期間はどんなに早くても、2~3週間はかかるというので、ではその間、車の修理みたいに代替品を貸してくれるとかいうシステムはないのですか?と無理難題を言うと、そういうシステムはなく、基本的には、新しいものをお買いになった方が手っ取り早い、という意味のことをつぶやいていた。

結果は分かりきっていて、あえて上記のような確認電話をしたのですが、どう見ても、最近のプリンターはカラーが主体で、機械で儲けるというよりは、インクで商売をしているのは明らかで、あのカラーインクがあの値段で売らなければならない値段だとは思えないので、そうであるなら、本体をもっと修理可能な設計にできるはずで、壊れたら買い換えろ、買ったらインクでぼろもうけというのは、メーカーサイドからしたら、良いアイデアだと思って売り上げに寄与しているかも知れないが、そんなことをやっていると、そのうち消費者からしっぺ返しが来るということを、メーカーさんとしては認識しておいた方が良いのではと思います。

良いものを作る、消費者に喜んでもらえるものを作って売るというのは、本来の物作り屋の原点だと思っていますが、どうも最近はそんなことは考えていなくて、自己中で儲かればいいと、結果がすべてのようです。

似たような、消費者無視の話は腐るほどあって、たとえば、もう40年も前に、(私はテニスをやるのですが)紫外線予防など何もしないで、5~6月の炎天下でプレーをしていて、唇の周りにヘルペスが出来たとき、医者から進められて、アメリカのC社製の白いリップクリームが良いとのことで、海外出張の度に、たくさん買い込んでは使っていました。

その後、おかげさまでヘルペスにもならず、重宝していましたが、10年くらい前にある空港で聞いたら、同じものは発売中止で、別の形が少しい大きいものになりましたという。中身が同じならまあいいかと思って、これも買い込み使っていました。

それから間もなくして、今度はもうこの商品は製造中止になりましたという。では似たような商品は?と聞いてもありませんという答えでした。都内のデパートの売り場で確認しても、同じ答えでした。

要するに、40年愛用していた顧客はどうでも良くて、統計的に売れる商品だけを、自己中心的発想で商品開発をして市場に出す。只それだけのことで、儲かればいい、長年の顧客などどうでも良い、ということのようです。

日用品ではこのようなことは年中あります、毎日のひげそりのシェービングフォームとか、カミソリの刃やシャンプーなど、私が愛好するとどうも売れなくなるようで、すぐ製造中止になります。

パソコンのWindows XPだって似たような話で、売り出すときは使いやすい最新版ですと言っておきながら、皆が使い慣れた頃には、これ以上サービスは致しませんと言って、Windows 7だの8だのと、次のバージョンを押しつけてくる。

こんなものは交通規則みたいなもので、毎日左側通行であったものを、今日から突然右側に替えてくれと言われるようなもの。これも儲かれば、消費者が面倒くさくても知ったことか! 儲かる仕組みさえ作れば良いんだ、という発想のようです。

私は商人(あきんど)を長くやっていて、しかも文化や人種の異なる相手と商内(あきない)をやっていると、よほど相手がどんな背景で、何を考えているのかを理解していないと商売にはならない。

ある重工業メーカーさんの副社長が、「こいつらは良いものさえ作っていれば売れると思っている。今時、こんな時代遅れな事を言っているから、商売が出来ないのだ」と言われていました。

これは、昔の職人は、確かに良いものを作っていた、その良いものというのは、使う人が良いと思うような、あるいは、使う人の意志がフィードバックさせた商品であるから、売れたのだと思います。しかし近頃は、大手メーカーさんなどの商品開発を眺めていると、技術屋さんが立派な研究室で、しかも、金をかけてマーケティングとやらを、横文字のしゃれた会社のアメリカさんか誰かに頼んで、立派な報告書をもとに新製品を発売する。

どう見たって、最終消費者が是非欲しいなどと言うものが出来るはずがない。しかも、年がら年中モデルチェンジをするから、たまに使い勝手の良いものを見つけても、次に買うときにはもう同じものはない。

要は、他人が何を考え、何を欲しているのかという、コミュニケーションの原点的なことに欠けているなかで社会生活をしている訳だから、会社でも公共の場でも、まともな生活が出来るはずがない。

これは日本語以前の問題であり、日本語が通じないのではなく、相手を理解し、認めるという社会生活の原点が出来ていないことに原因が有るのではないかと思っています。これでは消費者のために商品開発を進めても、本当に長期にわたってその消費者が、製造者のファンになってくれる日は遠いのではないかと思います。