たった一枚のセピア色の写真

50過ぎて、自分を育ててくれた両親が本当の自分の親でない事が分かり、しかも本当の親や兄弟も分かったが、本当の親は既に草葉の陰。親孝行したくても出来ないという悲劇的な話が報道されていました。赤ん坊の時に、僅か数十分の違いで生まれた他人と生まれた病院で取り違えられたのが悲劇の始まりだったようです。

それにしても、今更事実はこうですと言われても、ご本人としてはひたすら事実を受け入れるしか無く、それでも過去は取り戻せるものでもなし、本人としては涙だけの人生としか言いようがありません。

「産みの親より育ての親」などという言葉もありますが、この話は人為的なミスによって起こった悲劇であることが許し難い話で、謝って済むような話ではありません。仕事上のちょっとしたミスがこうした悲劇を生んでしまうということを、私たち一人一人が、例えサラリーマンの事務所仕事でも起こりうるという認識が必要なのでしょう。

一般的に子育ては母親が担い、男親は食糧調達のために外で仲間と狩りをする。群れで生きるためには、母親は他人が何を考えているかを分からなければ、自分の子供さえまともに育てることは出来ない。そうした動物としての本能をベースに考えれば、子供にとっては母親というのは特別の存在であるというのは、現代でも通じるはずです。しかし、最近は親子、兄弟でも資産等の問題などで、仲違い、大げんかなど、そこら中に転がっている話です。

そんな状況下で、私として、思ったことは、最近の親御さんが自分の子供、特に乳児幼児に対して、どんなことを親としてやってあげたいかということです。言い換えれば、この子たちが大きくなったときに、あるいは年を取って親の立場になった時に、自分は小さいときに親たちから、こんなに慈しみを受けていたんだと感じられるかということです。

私事になりますが、孫が1才の誕生日に記念写真を撮るために、ある写真館の予約を取ったというので、七五三も間近い時期に、じじばば揃って見学かたがた、写真館の実態を探りに見学に行ってきました。中は親子入り交じって大盛況で、着替えのための色々なドレスや着物、小道具などが揃っていて、それを着せ替え人形よろしく、取っ替え引っ替え着替えて、デジカメで女性が、小道具を使って、子供たちをあやしながら、あるいはポーズを付けながら、撮影していました。ほとんど女の子は芸能人気取りでポーズを取っていました。TVの影響でしょうか、みんな立派な子役です。

そして1週間後に出来た写真を受け取ってみてみると、可愛くはあるのですが、どう見ても合成写真の域を出ませんし、無理してポーズを取っているだけに、生き生きとした普段の生活感はありません。これが親の考える、子供たちへの贈り物なのでしょうか?

一応生まれた瞬間から、一年間の記念アルバムを作ってあげましたが、どう見ても、これらの写真館での芸能人疑似体験型写真では、その子供の個性や、表情が出ていません。もし、この子が大きくなったときに、ぜひ聞いてみたいことがあります。この生でない写真、普段の生き生きとした顔でない写真を見てどう思うのか、意見を聞いてみたいです。

翻って、私の小さい頃の話をします。最近私の姉から、私の母の古いアルバムを譲り受けました。母は私が4歳になる直前、27歳の時に結核が原因で亡くなりました。

そのアルバムには、母が女学校時代(東京府立第三高等女学校、今の駒場高校で、以前は麻布にあった)の写真や、明治生まれの男どもの古めかしい写真などがあり、その中に一枚だけ、セピア色の写真で、まだ多分1才になる前の私をしっかり抱いて、誇らしげな立ち姿の写真が入っていました。このたった一枚の写真は、初めての長男の誕生と、それを抱いた母親の気持ちが、にじみ出るような写真です。

母が自分でこの写真を自分のアルバムに挟んだのだと思いますが、その気持ちは痛いほど分かります。この写真の3年後に母は亡くなるわけですが、残されたものの悲しみは勿論ですが、亡くなって行く本人の無念はどれほどであったかと思わずにはいられません。

親というものは、子供にとっては何事にも代え難い存在であるはずです。特に母親の存在は大きいはずです。ですから、病弱の親御さんとお話をしたときに、親は例え病床に伏せっていても、命の限りを尽くしてでも生きていてあげることが、特に子供が幼い場合は大切なのではないかと思っています、とお伝したことがあります。

たった一枚のセピア色の写真が伝える力と、きれいに着飾った、商業化され、演出された写真と、子供が大きくなったときに見て、どちらが子供に訴える力があるのでしょうか?

勿論、最初に書いた方のようなケースは悲劇のなにものでもありませんが、私の周りでも、養子になったり、戦災孤児で天涯孤独になったり、いろいろな人生を歩んで来た方たちを存じ上げています。そんな運命を背負ってでも、生きて行かねばならないのが人生だと思っています。

あなたにとって、「たった一枚の写真」をどうか大切にしまっておいてあげて下さい。