結婚、出産・子育て、仕事に対する若者の意識

今年の厚労省の白書が「若者の意識を探る」として公表されました。

「厚生労働白書のテーマとして『若者』を取り上げるのは初めてです。現在の若者の意識について、結婚、出産・子育て、仕事といったライフイベントに焦点を当てて分析を行っています。様々な社会経済の変化に直面している若者の意識を捉え、若者の将来、ひいては我が国の将来を考える一助となればと考えています」と前言に書いてあります。

早速TVで、取り上げていましたが、面白かったのは、データとして、「晩婚化や未婚率の上昇といった状況は、少子化に影響を与えている」とした上で、

  • 若者の「結婚離れ」の背景には、結婚の社会規範の薄まりや、恋愛結婚割合の増加が一因。
  • こうした状況に加え、多様な選択肢の中から、自力で「理想の相手」を見つけることの難しさも一因。

と結論づけ、

  • 結婚するのが当たり前、と言った社会の圧力は弱まり、結婚は人生の選択肢の一つとなっている。
  • その一方で、若者の結婚願望は高い割合で推移(9割弱)している。

結婚相手 については、

  • 異性の友人もいない割合は男性で約6割、女性で約5割に上っており、結婚相手の候補となりうる交際相手がいる若者は限定的。

収入 については、

  • 無職や非正規雇用の労働者は正規雇用の労働者に比べて結婚意欲が低い。
  • 年収300万円未満では既婚率が1割に満たないが、300万円以上400万円未満では25%を超え、300万円が一つの壁。

といった概要が書かれています。

これを受けて、TVで一般視聴者のツイッター参加を含めて、この傾向を分析していましたが、色々な意見が寄せられて、中でも興味を引いたのは次のようなコメントでした。

  • 結婚について

「結婚を考えるのさえめんどくさい」「結婚するメリットを教えて下さい」「何のために結婚するのか、その理由を教えて下さい」「デートなどのプランを考えたりしなければならないので面倒」「現在趣味の世界で、充分楽しめているので、結婚する気はない」などの否定派。

また、女性は最近の傾向として、「結婚するなら専業主婦」とする一方で、男性は「結婚したら男だけで食わせるのは難しい」と両者の意見は一致しない。

これに対して賛成派は、「自分もあまり結婚は考えていなかったが、してみると結構良いものですよ」「子供も出来て人生充実しています」など。

  • 出会いや仕事について

「結婚したくても、仕事仕事で、出会いの機会がない」「人前ではうまく話せないので、出会いの機会を生かせない」「今の仕事で家族を養えるか分からないので、結婚に踏み切れない」など。

その他、「結婚すると、自分の使える金が減るからしたくない」など、中々ユニークなコメントが多かったので大変参考?!になりました。

これを見て感じたことが幾つかあります。まずは、この面白いコメントを出した若者は一体どんな親に育てられ、どんな幼少期をすごしたのか、また親兄弟、祖父母など家庭の周りの環境はどのような構成だったのだろうか?といったことを知れば、きっとこの発言の理由が分かるのではないかと考えたわけです。

なるほど、結婚とは「メリット、デメリット」で判断するもので、その限りに於いては、人生の選択肢の一つで、就職も「給料が良いメリットのある会社だから就職するが、安ければしない」ということになるのでしょう。しからば、結婚相手が「金持ちだから結婚する」けど、「貧乏なら、あるいは働きがなければ結婚はしない」といった、単純方程式になるんでしょうかね?

「専業主婦願望」というのは、以前のように「糟糠の妻を覚悟!」「手鍋下げても」なんてことは無いですね。大体こんな意味も通じないのかも知れません。

どんな人間でも、生まれ落ちてすぐに、家族というグループの中で生きて行かなければならない。そして、すぐに隣近所の人々、保育所・幼稚園、学校、社会に出て、会社など、一生人間である以上、どこかのグループに属し、「群れの中でしか生きられない」ということが現実です。

しかし、最近の特に都会生活では、生まれ落ちても母親と二人きりで、可なり大きくなるまで、あまり他人の干渉を受けずに生きていると誤解をして、「私は他人なしで充分生きていけるので、他人と余計な関わり合いはしたくない」などと思ってしまうのではないでしょうか。動物園の猿山を見れば一番分かりやすく、ボスがいて、下っ端は餌をもらうにも遠慮がち。群れですから、当然上下関係が出来る競争社会。相手のことをよく知らなければ生きてもいけない、と言った考えは毛頭無い。

「結婚」という新しい群れを作るということと、どんな職業を選択し、どんな趣味にのめり込むのか等ということとは、本質的に意味が異なる話で、前者は人間の根本である「群れる」という枠組みの中での話であり、後者はその人間の原点である群れの中でどのように生きるか、すなわち職業の選択であったり、頭の良し悪しであったり、貧富の差であったりするのではないでしょうか。

丁度この話題と時を同じくして、人間社会が高度発達すると「鬱病」というやっかいな病気にかかり、薬を飲んでも、色々な療法施してもらっても、なかなか治らなかったが、最近非常に面白い療法が出てきたという。

アフリカのある狩猟民族には、現代病である鬱病がないそうです。そこに目を付けた医者が、彼らの行動や生活習慣を観察し、編み出したのが、私に言わせれば全く当たり前の話で、「朝早く起きて日光に当たる」、「昼間は大いに運動(狩猟=仕事)をし、夜はぐっすり眠る」、それと最も大事なのが、「周りの群れの人たちと仲良く歓談し、食事をする」。以上が医者の開発した最新の治療法だそうです。

実際に、可なり重症の鬱病患者にこの治療法を施した結果、ほとんどの人が劇的に回復し、今まで色々な薬を飲んでも全く改善されなかった症状が、びっくりするほど改善したというレポートがありました。

私自身は鬱病になったことはありませんが、だからといって、悩みや落ち込みがない等という人物ではありません。しかし、朝は年なので早く目が覚め、やむをえず、事務所に出て仲間と馬鹿話をして、安物の昼飯を食い、週末には日当たりの十分なテニスコートで体を動かせば、医者に相談しなくても、人間の持っている本来の「群れでの生活」を実践をすることで、普通の人間生活が出来るはずです。ところが、上述のように、社会が発達し、ゆがんでくると、人間自体もゆがんできて、人間本来の、「普通の生活」が出来なくなっているのではないでしょうか?

最近、タクシーの運転手にいきなりキレて暴言を吐いたり、暴力をふるったりする事件がタクシー業界でも問題になっているそうです。学者先生によると、こうした現象は、最近のゆがんだ社会がそのまま普通の人にしみこんで、突然キレたりするゆがみが出ているのだそうです。

「嫌な社会になったもんだ!」とご先祖さんたちは嘆いているのか、又は「ざまー見ろ、俺たちの言うことを聞かねーからだ!!」と墓場の下からわめいているような気もします。南無阿弥陀仏!!

それを社会のせいにしたり、政府のせいにしたりしても、所詮誰も解決はしてくれそうにもありませんので、結局は自己責任で、行き詰まったら「のたれ死ぬ」くらいの覚悟があれば、人生楽しいかどうか分かりませんが、少なくとも鬱病にはならないで済むかも知れません。