イラクでの事件始末記

当時、イラクの大統領をフセイン大統領のおじさんのAhmed Hassan al-Bakrが務めていた時の事件です。当時はイラクも石油が出始めたが、メジャーの支配を嫌って石油関連他重要な産業を国有化していた時代でした。

  • 日本人蒸発事件、表と裏(秘密警察)

地図を見ると、クウェートとイラクの国境地帯に、菱形の中立地帯があります。事件の発端はそこから始まります。クウェートで日本の企業がオイルタンクの施設を建設しており、当時は溶接工など、必要な技能工は日本から連れて行った時代で、その技能工たちはアラビア語はおろか、英語もよく分からない人たちが現場で働いていました。

正月の休みに、そうした人たちが皆でおにぎり弁当を持って、その中立地帯の小高い丘に昼間、散歩がてら出かけ、そのまま夕方になっても宿舎に帰ってこないということで大騒ぎになりました。出かけたのは十数人です。

当然、クウェートの日本大使館や、クウェートの外務省などに正式に依頼して探してもらったが、全く存在の気配さえなく、一週間以上たっても音沙汰なしという状況でした。クウェート側からは、もしかして、イラク側に捕まっている可能性があるかもしれないということで、クウェートとイラク双方の外交を通じて捜索願を出しましたが、それでもイラク側からも行方不明ということで、状況は不明のままでした。

当時のクウェートは勿論、イラク側も特に治安が悪いということはなく、軍事的にイラク国内では軍隊が治安を守り、あちこちに検問所などはありましたが、ゲリラなどの存在はありませんでした。むしろ北側のクルド地域で、時に政府側と摩擦がある程度で、いきなり殺されるなどの理由はあまり考えられなかった状況でした。

それにしても、日本大使館を通じ双方の表玄関から調査をしても、1週間たち10日たっても、なしのつぶて。支店長さんも、思案投げ首で、現場を飛び回るのが仕事の我々プロジェクトの現場屋としては、何とかしてあげたいと思い、支店長に「お偉いさんがよってたかっても、まだ分からないんですか?」と聞くと、「君たちなら分かるのかね?」と普段からあまり仲の良くない上司である支店長は我々に玉を投げてきた。「分かるかどうかは何とも言えませんが、どう考えても、状況からすれば、少なくともイラクにいる可能性は強いと思いますよ」と言って、引き取った。

プロジェクトというのは、色々な人々の関係で成り立っているので、当然我々も色々な人脈をもっている。本当なら、先ほどの支店長がそのような人脈作りをしてくれると有り難いのですが、支店長と言えば、いわばその店で一番お偉いさんなので、大使館や日本人会など、そうしたところには顔を利かせて出て行きますが、現地の人脈を積極的に作るという方向には行かないのがサラリーマン世界の常識です。

そこで現地で懇意にしているある人に電話で事情を話し、「表から調べたが全く分からない状況なので、もしかして、裏側の秘密警察や軍関係なら分かるかもしれないので、無理のない範囲でチェックしてみてほしい」と依頼した。

電話してわずか10分も経たないうちに、「いたいた!! やはり秘密警察に捕まっていて、現在はバグダッドにいる。全員無事で問題なし。表の方から引き渡すので、全員のパスポートをクウェートから運んで、大使館経由外務省にコンタクトしてほしい」との報告を受けた。お礼かたがた、何でこんなに長時間拘束されていたのか聞いたところ、「中立地帯にいたので、赤軍派などの可能性もありということで捕まえてきたのはいいが、日本語以外誰も外国語をしゃべらないので往生していたところで、北朝鮮の人がバグダッドに社会主義国同士の経済協力で来ているので、そちらに頼もうと思っていたところだった」という説明だった。

支店長に内容を説明し、後始末は任せた。ところが、支店長は「今後の参考のために、誰に電話をしたのか教えてほしい」と言うので、「それは教えられませんし、あなたに教えても、彼は何もしてくれないでしょうし、本来人脈というものは個人の関係であり、紹介は出来ても引き継ぎは出来ません」と言って、きっぱりと断った。

以上が事件のあらすじですが、後刻、そこの社長が日本からやってきて、日本の缶入り高級のりを一杯もってきて、支店長に挨拶をしに来ましたが、我々はお会いしませんでした。

後日談として、今回の事件で特に被害はありませんでしたが、たった1個のセイコーの腕時計を、ある人が「もしかしてここで殺されるのではないか」と思って、トイレに入ったときにそこに置いてきたそうです。気持ちは分かります。

この事件では、ある意味当然なのでしょうが、国家というものの秘密情報などが表と裏に分かれているのは当然で、しかも、その情報が容易に表と裏で簡単には繋がらない仕組みになっているのも、可なりしっかりした組織であるという見方も出来ます。

何でも自分の国の仕組みが標準だと思って、何時までも表から攻めても、出てこないものは出てきません。危機管理というものは、そうした裏まで想像力でカバーしてやらないと中々解決が難しい問題も多いということを、私企業の方々も心しておかれることをおすすめします。

  • イラクでの裁判沙汰の後始末

日本人技能工蒸発事件のあと、しばらくしてこんな事件が発生し、商社仲間で話題になった。

当時はオイルショックの直後で、中東はプロジェクトで賑わっていた。従って、どこの商社も店の拡張や駐在員の増員で支店長さんは大忙し。特に店のステータスである支店登録などが出来れば、色々と有利に働く。そこで、ある商社が、イラク政府関係の取引先から、これこれこういう事をしてくれれば支店登録を許可すると言われ、早速その話に乗って、相手先に行って、その話をしたその場で贈賄の罪で逮捕された、というのが事件の内容であったと聞いている。

問題にしたいのは、その後始末です。当然日本人支店長が逮捕されたので、日本の本社との連絡や、善後策などが練られたと聞いています。それらの内容は詳細には他社のことなので分かりませんが、事実として、本社と支店との間でのやりとりに時間を使っている間に、イラク側で軍事裁判が行われ、すぐに刑が確定し、監獄に収監され、刑に服することになった。その後色々と手を尽くして、結果として半年くらいで日本に帰国されたようですが、監獄の状況がひどく、独房ではなく、他の犯罪人と一緒で、しかも水が水道の蛇口から、ぽたぽた程度しか出ていなかったと聞いています。そんなわけで、本人も社会復帰が出来ないほどにダメージを受けたようです。

このような話は他人事ではなく、海外で仕事をする以上、大なり小なりリスクはつきものです。勿論、その国の法律を守るのは大前提ですが、ちょっとしたことがきっかけで逮捕されることは充分考えられますし、逮捕でなくてもトラブルは日常茶飯事です。

例えば、日本人は写真を撮るのが趣味で、ちょっとしたところでもすぐに写真に収めます。しかし、海外での写真撮影、特に中東や南欧など、かつて共産圏であった時代の国などでは、空港は勿論、橋梁、港湾、鉄道などの施設をうっかり撮影すると、秘密警察に捕まります。

実際に、写真撮影ではありませんが、空港でトラブルに巻き込まれたことがあります。通常、バグダッドの空港では、入国時に自分がどのような金種のお金を幾ら持っているのかを申告する義務があります。ところが、現場の通関職員がさぼって、申告用紙を渡さずにそのまま通過させてしまうことも多々あったので、今日も用紙が渡されないのでOKかと思って居たら、「おまえは外貨申告をしていないので逮捕する」と言って、別室に連れて行かれたことがあった。

「私はバグダッドの住人なので、そんなルールは百も承知している。しかし、最近あなた方はその用紙を入国客に渡していなかったではないか? それでも捕まえるというなら、致し方ないが、私は現在バスラの運輸省の港湾関係の、コンテナクレーンのプロジェクトをやっているので、ここの空港の管理も運輸大臣が責任者のはずだから、あなた方が怠けて、ルール通りきちんと用紙を渡さなかったことを大臣に説明するがそれもいいのか?」と開き直った。

直ちに「分かったから、今日はいいから通れ。只、荷物の通関だけは受けて下さい」と言うので、日本から100kg近い荷物(ほとんど食料品)を持っていたので、「これは何か?」と聞かれ、「ほとんどJapanese foods食料です」と答え、開けたら確かに食料なのだが、一番上にひげそり用のカミソリの刃が一杯入っていた。彼は私を見て、「これも日本食か?」と聞いたので、「日本人はこれも食うんだ!」と言って笑ったら、「もういい、行け!」というような話がありました。こんな話でも、下手にこじれれば逮捕というケースだって充分あり得ます。

要は、色々な事件が起こってしまったら致し方ありませんが、起こったら直ちに、迅速に手を打つというのが鉄則だと思います。東京の本社に問い合わせたり、指示を仰いでも、所詮現地で起こった事への対応策などあるはずがありません。出来ればその場で、出来なければ早急に手を打つ。しかもそのような事態に備えて、普段から周りの状況や、自分の人脈などを出来る限り作っておくことがリスク管理の鉄則だと考えています。

次回はリビアでの事件をケーススタディーとして、いかに現場での処理が必要かを考えてみます。