ノーベル物理学賞と日本の物作り

今年のノーベル物理学賞は色々話題が多かったようです。

まず、受賞されたのはベルギーのフランソワ・アングレール博士(ブリュッセル自由大学名誉教授、1932年11月6日、ベルギー・エテルビーク生まれ)と、英国のピーター・ヒッグス博士(エディンバラ大学名誉教授、1929年5月29日、英国・ニューカッスル・アポン・タイン生まれ)のお二人です。

受賞理由がノーベル賞の事務局のホームページに出ていますので、下記します。

“for the theoretical discovery of a mechanism that contributes to our understanding of the origin of mass of subatomic particles, and which recently was confirmed through the discovery of the predicted fundamental particle, by the ATLAS and CMS experiments at CERN’s Large Hadron Collider”と記されており、「素粒子が質量を持っていることを理解するためのメカニズムの理論的発見」が理由で、「その理論が最近CERNの大型ハドロン衝突型加速器で行われたATLASとCMSの二つの実験で確認されたため」ということです。

実際にアングレール博士は、物質を作っている素粒子が質量を持つという仕組みを説明する理論を1964年に発表しています。同じ年にヒッグス博士は物質に質量をもたらす仕組みを提唱し、そこで働く「ヒッグス粒子」の存在を予言しています。

1964年といえば、今から約50年も前ですが、私自身はメコン開発にこれから取りかかるところで、物理学科を卒業した一人としてはお恥ずかしながら、このような理論を知るよしもなく、むしろ現場一筋で、ダム作りプロジェクト実施に専念していました。

私が特に今回の受賞で取り上げたい話の一つは、新聞紙上でも色々と報道されていますが、日本の物作りとの関係です。当然の事ながら、この種の実験は、世界の最高レベルの知識の固まりのような人たちの集まりの中で、日本からも各種研究機関や大学、研究者、学者などなど、これに携わった方々が大勢おられることは承知しております。

まずはこの大規模な実験装置は欧州合同原子核研究機関(CERN)が1994年に正式に実施を決定しました。今から約20年前です。この装置は大型ハドロン衝突型加速器(LHC)と称して、スイスのジュネーブ郊外にある、山手線一週ほどの距離のある円形地下トンネルです。

日本はCERNの加盟国でないので、当然ながら、参加したくても入札にも参加できない状態だったそうです。ところが、このような施設には膨大な資金が必要ですが、実施決定してすぐに資金問題に直面し、欧州以外からも資金援助を集めるべしとの方針で、当時のCERNの所長が1994年に来日し、当時の与謝野馨文部科学大臣に協力を依頼。翌年6月に正式に日本として協力を表明、非加盟国で協力を約束したのは日本が第1号で、アメリカはより1年も早かったようです。結果として日本は3回にわたり合計138.5億円を援助した訳です。

結果だけ見れば、日本はほんとにお人好しで、国として借金が怖いほどあり、非加盟国なのに金も出せば、技術も出しますということです。しかし、この素粒子実験で使う加速器の開発には、日本が先端を走る超伝導技術が欠かせないということで、当初から高エネルギー加速器研究機構の山本明・超伝導低温工学センター長に声がかかっていたそうです。

この実験は、一言で言えば、陽子ビームを加速させ、衝突させることによって飛び散る様々な素粒子を検出し、分析しようというものです。この検出に、日本が中心のATLASと、欧州中心のCMSという二つの実験があります。

【1】まず、日本が依頼されたのが、加速された陽子ビームを絞り込むための磁石の開発で、光の速さまで加速された陽子を、衝突させる前にビームを1cmから10μm(マイクロメーター)まで絞り込まねばなりません。これは東芝が製造し、18台納入しました。

【2】次に、加速された陽子が衝突すると、色々な粒子が飛び散ります。それらがソレノイド磁石の磁場によって軌道が曲がり、その曲がり具合で粒子の種類を判別するわけです。但し、粒子が筒を通り抜けて外側にある別の計測器に行くのを邪魔してはならないという条件が付けられます。いわば、条件付き発注です。上述の山本氏によれば、「実験屋の究極のわがまま」と言えるようです。本来なら、こんなややこしい面倒な仕事で、しかも一回きりの仕事を、金儲けでは中々やりませんが、そこが日本のメーカーの良いところ。意地でもやってやろう精神でしょう。

その素材選びでは、アルミ合金が条件としてベストと判断し、超伝導のコイル用銅線は古川電工、絶縁材料の開発は有沢製作所、組み立ては東芝がやったそうです。ちなみに、有沢製作所は新潟県上越市にある、社長さんが一代で築き上げた一部上場の素材屋さんです。創業は明治42(1909)年で、従業員が600人足らずで、世界で勝負という事でしょうが、実際は日々うるさいお客の話を聞きながら、最上の素材を提供することを生業としているはずです。こういう会社が日本を支えていると言っても過言ではないでしょう。

【3】これらの素粒子の飛跡を検出するための「飛跡検出器」は入札で、浜松ホトニクスが納入しました。この装置は強い放射線や高温にさらされる場所にあり、しかも10年間使用し続けるという設計が要求されたそうです。放射線に対する耐性は、宇宙ロケットの10倍にもなるそうです。

そのような過酷な製品をATLASの実験用として完成しかけた時に、欧州勢の実験であるCMSの方からも同様の飛跡検出器の制作依頼が来たそうです。理由は、装置を担当した欧州の企業がCMSの要求する水準の性能を出せなかったためだとのこと。既に予算を使い果たしていたが、結局「断らない」という方針で、通常の3割安で受注したそうです。(私なら、火事場泥棒みたいに、高値で受注したでしょうが、そこは日本の誇る物作りメーカーの神髄でご協力申し上げたということです)

結果として、ATLAS側の内側の95%、CMS側の内側の100%が浜松ホトニクス社の検出器で覆われているそうです。この技術がなければ、ATLASもCMSも完成して無いどころか、今回のノーベル賞の理論を証明する結果は何も得られなかったことでしょう。

【4】このほかにも、新日鉄住金のステンレスや、IHIの冷却装置、川崎重工の低温真空容器、フジクラの光ファイバー、林栄精器の素粒子検出器などがあります。最後の林栄精器は従業員80人程度の中小企業です。

一般的にノーベル賞は理論屋さんには不利だと言われているそうで、実際に実験で証明されたり、新しいものを作り出したりする方に有利だとされているそうです。従って今回の受賞理由の後半部分で、「この二つの実験結果が証明した」とあえて実験結果があったから受賞が決まったという書き方をしていますが、これは珍しいケースのようです。

それであれば、関わったメーカーさんすべてをまとめて受賞対象にしてほしいというミーハー的発想ですが、それは別として、検出器のメーカー「浜松ホトニクス」の社長さんが、「世界的発見に参加できて光栄です」といった、極めて控えめなコメントをされていたのが印象的でした。

以上、ややこしい素粒子界の話を書きましたが、それが目的ではなく、日本が今後生き残ってゆくためには、日本の物作りの原点である、丁寧に良いものを作りつづけ、お客さんが満足するようなもの、他人が簡単にまねのできないもの作り、そして、決して手抜きをせず、そのような積み重ねが、結果として世間から評価され、底辺を支える力になるのだと思います。徒弟制度、厳しい修行、長年の伝統の継承、どれをとっても、簡単に金と労働力だけでは達成できない事ばかりです。

丁度このような世界での最高の名誉であるノーベル賞に、日本の物作りの神髄が活かされているということの本当の意味を、もう一度考え直してみてみる良い機会だと思います。