あなたは牛や鶏と話せるか?

人が毎日生活する中で、季節を感じ、自然と対話し、花や木に心を寄せるなんていう何気ない生活が、コミュニケーションの重要な原点ではないかと思っている。そんな生活がだんだん影を潜め、都会では満員電車内でトラブルを起こす。会社ではパソコンと向き合い、生での話はなし。それでは、人間同士の会話なんてとても成り立ちそうにない。そんな昨今にほっとするエピソードをいくつかご紹介したい。

  • 水牛の言葉が分かる運転手

ラオスで現地の運転手と田舎道を走っていたら、道の真ん中で水牛がこちらをにらんでいたので車を止めた。「早く出発しよう」と言うと、運転手は「ちょっと待ってください。今、水牛が道を渡ると言っています」と言う。失礼を省みず「あんた、水牛の言葉が分かるの?」と質問すると、「はい、分かります」と涼しげに言う。

失礼。私たちは人間だけが言葉を話すものだと勝手に解釈している。もちろん動物だって、昆虫だって、植物だっていろいろな言葉をしゃべっているはず。やはり田舎に住まないと人間は駄目になるようだ。

  • 鶏に自分の名前を聞く日本人作業員

これもラオスでの話。ある晩、夕食後、外で何か声がするので、誰が話をしているのかのぞいてみると、にわとりを相手に、日本人の作業員が「お前は俺の名前を知ってるか?」としつこく聞いていた。

日本人も捨てたもんじゃない。にわとりと話ができるようだ。でも、にわとりに彼の話が通じたかどうかという、肝心な部分は確認できていない。

  • 乙女のごときニホンタンポポ

人間と動物とのコミュニケーションだけでなく、植物も住んでいる人間に大いに感化されて生活しているようだ。セイヨウタンポポとカントウタンポポ(ニホンタンポポの一種)を調べていたら、とても面白い資料を見つけた。

最近はニホンタンポポが都会から消えて、それに変わってセイヨウタンポポがはびこっているので、これは輸入品のこん包に付いてきた繁殖力の強いセイヨウタンポポに、か弱いニホンタンポポが駆逐されたのかと思っていた。実はそうではなくて、同じタンポポ属でも、ニホンタンポポは遺伝子の関係で自己生殖をせず、必ず群れて繁殖しないと種として生き延びられないということのようだ。すなわち、ニホンタンポポは里山のように、人間がある程度手を掛けているような所に繁殖し、必ず群れて、他の花粉を受粉することで新しい種が生まれるのだそうだ。当然、昆虫などの存在も重要である。

日本人もタンポポも、お互いに里山で仲良く群れて生きてきた。しかし、都会や近郊でだんだんニホンタンポポが少なくなったということは、彼らが群れて生活できる環境が少なくなったということだ。翻って、マンション住まいや核家族化が進み、人間が群れて生きていないところでは、やはり繁殖力が落ちてもやむを得ないということだろう。

では、ニホンタンポポは減っているのに、なぜセイヨウタンポポが繁殖するのかというと、彼らは自己受精するので、基本的に群れる必要がなく、例え一本でもたくましく生きられるのだそうだ。さらに、彼らは花が咲けば春といわず夏といわずすぐ種を作り、その種が飛んでいってどこかに着地をするとすぐに発芽し、数週間で成長してまた花をつけるというたくましさ。秋遅くなど、季節に関係なく咲いているタンポポは間違いなく西洋タンポポだろう。一神教の世界で育ったがゆえの強さなのだろうか。

それに比べると、ニホンタンポポのしとやかさは見上げたものである。春に咲き、種が出来ると飛んでいき、夏の間はじっとしていて、秋になってやっと発芽し、次の年の春にまた花を付けるというじっくり型なのだ。こんな話を知ると、なんだかニホンタンポポがけなげに思えてならない。

人間仲間はもちろん、動物や植物にも話しかけてみて欲しい。面白い話が聞けるかも知れないから。