貧困層は救われるのか?

私たちODAに関わっている者にとって、ODA大綱と称して、日本の援助の原理原則を取り決めた枠組みがあります。これを10年ぶりに改訂する事になっています。ODAの援助の仕組みは、発展途上国のGNI(国がどのくらい金持ちか)を指標として、援助の枠組みを決めています。

しかし、いくら国が金持ちでも、貧困層は必ずいるので、たとえ中進国と称する国にでも、その国の貧困層に支援が必要であるという発想が必要だと思います。逆に、その国の貧困層に支援をしたとしても、その国の仕組みが、貧富の格差を生むような仕組みであれば、いくら底辺を支援してみても、いつまでも貧乏人は貧乏人のままでしかないというジレンマがあります。

そこで、そもそも貧乏とは何か?という原点的な話に戻って考えてみたいと思います。そのために「貧乏物語」という有名な古典があるので紹介します。河上肇氏(1879-1946)が1916(大正5)年9月に「大阪朝日新聞」に掲載したのがはじめで、本としては岩波書店から1847(昭和22)年に出版され、現在でも岩波文庫として出版されています。

彼は貧乏の規定を3つに分けていて、まとめて言ってしまえば、第一の貧乏は相対的貧乏(あなたより私の方が貧乏というタイプ)、第二は依存貧乏(人様の好意に依存して生きてゆくタイプ)、第三は、本人が一日に生きるために必要な最低限のカロリーも取れないで生きているいわば絶対貧乏ということで、話は主として、この絶対貧乏に焦点を当てています。

ODAの世界でも、絶対貧乏の定義を一日2ドル以下で生活している人たちとしています。GDPで世界第1位の米国が、貧富の格差でもNo.1で、日本が第2位というのも皮肉な話で、「国富んで民敗れる」という感じがします。

少し古いですが、「State of Working America 2004/2005」によると、トップ1%の人間が、1998年では国の富の38.1を占めています。次の4%の人は1998年で21.3%を占めていますから、1998年では上位5%の人で、合計59.6%の富を占めていることになります。現時点ではもっと差が大きくなっているはずです。これをアメリカンドリームの実現できる国と見るのか、米国とはそういう仕組みの国と見るかは個人の自由です。

実は、日本でもこの種の統計では色々とありますが、結論的に言うと、日本も似たような数字で推移し、今後ますます、貧富の格差が広がると見られています。戦後の日本では、一億総貧乏で、しばらくして、意識としては一億総中流と言われた時代がありました。一体どうして、あの時代から今のような構造になったのか? 単に日本の税収の仕組みとか、人口構成の変化、福祉や教育や年金などの仕組みなど色々ありますが、もう少し根本的な問題がありそうです。

そこで一度大正5年の「貧乏物語」に戻ってみると、この本では、ご立派なことに、あの時代の色々な調査情報を引っ張り出して、当時世界の最先進国と言われた欧米の主要国の貧富の格差について結構詳しく分析しています。

当時(大正初期)、米国及び欧州主要国は世界の先進国として一番金持ちの国であったはずですが、驚くことに、その当時の英国、フランス、ドイツ、米国で、貧富の差(富の配分)が非常に大きいことを都市レベル等で調査し、しかもヒアリングでなぜ貧乏なのかの理由も調査しています。

「The Wealth and Income of the People of the United States (1915)」によれば、上位20%の人が、英国では72%の富を所有し、フランスでは60%、ドイツでは59%、米国では57%の富を保有している。逆に、これら4カ国でおおよそ65%の人たちが、全体の富の僅か2~5%しか保有していないということを書いています。

実際に篤志家のRowntree氏が、英国ヨーク市を調査した結果、75,800人のうち27%が貧困層であり、Charles Booth氏によるロンドン市での調査では、Lowest class(最下層民)が0.9%、Very poor(細民)が7.5%、Poor(貧民)が22.3%で、合計約30%の人が貧民ということになっています。

更に、統計学者のBowley氏とBurnett-Hurst氏の共著で1915年に公表されたものだが、調査が1912~1913年に行われ、スコットランド中央東部(レディング市=人口87,000人)では、20%が一級の貧困層で、ウェールズに近いウォリントン市(人口72,000人)では、12.5%が最貧民であったそうです。

問題は、なぜ貧乏なのか?で、その理由は、①まじめに働いているが給与が少ない(52%)、②家族が多くて家計が苦しい(22%)、③一家の柱が死んで貧乏(15%)等であって、基本的にまじめに働いているが、給与の問題で苦しいとか、家族が多くて養うのに大変といった、当時の事情からは理解は出来る内容です。そして、次のように結んでいます。

「一見すればほとんど経済問題となんらの関係なきがごとく見ゆる問題でも、よく研究調査してその根原にさかのぼってみると、大概の問題が皆経済という事と密接な関係をもっておるのである。今日の世の中には、いろいろむつかしい社会上の問題が起こっているけれども、その大部分は、われわれの目から見ると、社会の多数の人が貧乏しているがために起こるのである」。今日の世界でもそのまま通用する一文です。

更に、国民の教育についても、その重要性は当然だが、その前に「飯を食う」という生きるための重要な項目があることを次のように書いています。

「何か社会におもしろくない事が起こると、すぐに教育者を責めるけれども、教育の力にもおのずから限りがある。ダントンの言ったことばに「パンののちには、教育が国民にとって最もたいせつなものである」ということがあるが、このパンののちにはという一句は千鈞の重みがある。教育はまことに国民にとってたいせつなものではあるが、しかしその教育の効果をあげるためには、まず教わる者に腹一杯飯を食わしてかからねばならぬ。いくら教育を普及したからとて、まずパンを普及させなければだめである」。ごもっともな意見です。

さてここからが本題です。

今から丁度100年前も現在も、貧富の差の比率は意外にもあまり変わっていませんが、多分その貧困層の中身が可なり異なるのでは無いかと想像しています。

例えば、「自助の努力」ということを考えて見ると、上述のごとく、以前は自助の努力はしているが、給与が安くて飯が食えないという状況でした。現在でも同じ事が言えそうですが、現在なら、飯が食えないほど給与が安ければ、就職難ではあるが、他に転職する事も不可能ではない。100年前に比べれば、選択の余地は現在のほうがよほどありそうです。

家族が多いので苦しいのが以前は2番目に来ていました。現在は自分1人あるいは親子3人でも大変そうですが、当時の家族構成からすれば、以前のほうが、大変だったでしょう。

更に、3番目の一家の柱が死んで苦しい。これは何時の時代にもありますが、残された母親が苦労して子供を育てる等というケースが多いですが、これも現代の方がオプションは多いでしょう。実際に私が知っている方で、旦那が過労死をして、しかも労災として認められず、でも何とか子供を教育し、社会人として育て上げた婦人を存じていますが、やはり仕事の場を確保することが出来たことが一番でしょう。

ただ、色々なケースもあり、表面で単純な比較は出来ません。しかし、現在は社会が複雑になり、この貧困層に入る人たちの中に、自助の努力をしなかったために世間からドロップアウトしたといった人たちは当然いますが、それ以外でも色々と複雑な理由で、この底辺でうごめかざるを得ない人たちが一杯います。

一体こうした貧困層は救えるのか?という命題は、100年前も現在も、ある意味永遠のテーマです。これを考えるために、まずは3つに分けて考えて見たいと思います。

  1. 自助(当然これがまずは何を置いても真っ先に来るでしょう)
  2. 公助(文字通り、政府や自治体からの援助支援でどう救われるのか)
  3. 共助(助け合い運動。地域社会、会社、学校といった人の固まりの中で、どう弱者を救えるのか)

「自助」については、一般的に、人間が100人いたら、そこの数パーセントは放っておいても立派に自分で食っていける人。逆に、どう面倒を見ても駄目になってしまう人も似たような数がいます。本来ならば、その中間層である、駄目になるかちゃんと飯が食える人間になるかは努力次第という人たちが大部分で、ここの人たちを叱咤激励して、「がんばれ!」と言って励ましながら全体で上昇できることが、国家全体の中でGNIを上げて行くのに、一番効率が良い方法でしょう。

しかし、今日の問題は、駄目な方の人間をどう救うかという話です。単純に、自助の努力もしないで、怠けてこの世界にいる人は、出来れば親が責任を持って、引っ張り上げて中間層に持って行くのが理想ですが、親が悪くてこうなったという人もいるでしょう。親の教育も重要です。親が悪くて、子供も悪い。親が貧乏で、結果子供も貧乏というケースは一般的には多いです。

本当に救わなければならい人たちというのは、自分の意志ではなく、小さい頃に親が離婚したとか、DVで心身ともに傷ついたとか、あるいは病気になって、社会復帰をしたくても出来ない状態で、落ちこぼれたり、孤独死したりするケースです。この人達を金銭的や、ソフト面などで仕組みとして支援するのが公助ですが、結局、国や地方自治体が窓口で、様々な仕組みを持っていますが、やはり役所仕事ですから、画一的になり、且つ効率も決して良いとはいえません。予算でも、必要以上にふくらむか、効率が悪くて無駄が多いとか、色々と欠陥があります。

そこで、こうした底辺の人たちを支えるために、NPOとか地域の人たちが活躍していますが、特に現代では都市化が進み、かつてはほとんどの人が地方の農業従事者で、村社会の中で群れて生きていた時代から、都会の中でお互いにコミュニケーションも無く、それが健常者にとっては余計なしがらみが無くて生活がしやすいという面もあって、都会暮らしをしています。ここが100年前と根本的に違うところでしょう。

特に、事情があって人の助けを必要としていながら、群れとして面倒を見てもらえず、孤独に生活をし、時には犯罪に走ったり、場合によっては孤独死というケースも多くなっています。従って、この底辺の貧困層を救済するという場合に、一番のポイントは、この共助=地域コミュニティーのネットワークをどう機能させられるかであろうと思います。

いくらNPO ががんばっても限度があります。昔のように、地域でそこはとなく周りの面倒を見、会社では、少しぐらい出来が悪くても終身雇用で、何とか給料を払って雇っていてくれた。これも広い意味で、共助の文化と言っても良いでしょう。

今やそんな余裕はないと効率一点張りで、会社都合で簡単に首を切り、ちょっと景気が良くなると、人が足りないといって店を閉めざるを得なくなる。また、労働者も足りないと言って、外国人に来てもらいたくても、中途半端な国策ではなかなか来てもらえない。

広い意味で、共助の精神、あるいは地域コミュニケーションを通じて、助け合いながら生きるという、本来日本が持っていた良い文化的面を、経済(金儲け)や効率という、一方向からだけの見方で進んでしまった結果だと思います。

大阪府では、2006年から、これら地域のネットワークを構築するためにコミュニティーソーシャルワーカー(CSW)といった制度を運営してきましたが、この重要性と更に地域で活動できるように、これを一段落として、市区町村レベルで実施する仕組みとして、地域の要援護者の見守りや相談など、幅広い福祉活動を行っています。

豊中市に生まれ育ち、現在この地域のCSWとして働いている女性がおられます。実に立派な方で、よくぞここまで死ぬほど働いておられても、孤独死の人を救えなかったりして、悲しんでおられました。

彼女は「自分がこの地域で、支援の必要な人たちを見捨てた時点で、自分が見捨てられる事になり、この地域が最後は崩壊する事を意味するのだ。だから見捨てるわけにはいかない」ということを言っておられました。彼女のこの一言の重みを皆が理解し、実行できる地域社会が出来ない限り、救いはないと思いますが、皆様の結論はどうでしょうか。