長崎のクリスチャン

私が普段生活しているときには、仕事や学校などの仲間でも、誰が仏教徒で誰がキリスト教徒であることなど、何も関心を持たずに生活しています。

私のテニス付き合いで、100歳近くなってお亡くなりになった方がおられ、葬儀に出席しようとして案内をいただいたら、彼はカトリック教徒であったので、意外な感じを持ったことがあります。

東京生まれ東京育ちの私としては、普段周りの親戚縁者も皆適当な仏教徒ということになっていて、祖母の姉が慶応元年生まれで、私が小さい頃に一緒に外出すると、曲がった腰を杖に託して歩きながら、いつも「なんまんだー、なんまんだー」と念仏を唱えながら歩いていたのを思い出します。あの頃の人々は、葬式仏教と慣れ親しんだこの頃と違って、仏教生活が身に染みついていたことがよくわかります。

今回は、東京の話ではなく、長崎で出会ったキリシタンのお話です。

学生時代にフランス語の通訳のアルバイトで長崎の高島炭鉱にお世話になったことがあります。ご承知かと思いますが、この高島炭鉱は歴史が古く、佐賀藩と例のトーマス・グラバーが組んで採掘を行い、その後明治になって後藤象二郎が買い取ったがうまくいかず、岩崎弥太郎率いる三菱財閥が権益を受けて運営してきた炭鉱で、私が伺った時代には石炭の最盛期で、三菱鉱業高島鉱業所という名前だったと記憶しています。

長崎のグラバー邸の真下に、炭鉱舎という船着き場があり、そこから日本最古の鋼鉄船(フランス製)が高島との間で運行されていました。高島に着くと、客用の「中山クラブ」という接待所兼宿泊所があって、そこに長逗留していました。

食事は、元帝国ホテルのコックさんがおられて、三度の食事をまかなってくれていました。たまたま炭鉱のストライキなどやっていると、仕事にならないので、長崎の海を眺め、名コックさんのサンドイッチなどを食べながら、日がな一日海を眺めながら、優雅な日々を過ごしていました。

私どもの面倒をみてくださるのは、さすが三菱財閥で、中山クラブには、三菱鉱業のお偉いさんの娘さんたちが修行という名目で手伝いに入っていて、我々のような外からの客の洗濯物やら、日常の面倒を見てもらっていました。当時大学生でしたので、まるで夢のようなアルバイト経験でした。

仕事が終わって帰る日に、総務課長さんが、わざわざ若輩者を波止場まで見送りに来てくださいました。例の鋼鉄船がきて、長崎港に向かうときに、その総務課長さんは深々と頭を垂れてから、「長いことご苦労様でした。あなた様の今後のご発展を心からお祈り申し上げます」と言われて、私はしばし立ちすくんでしまいました。

今までいろいろ見送りやらお別れはしたことはありますが、こんな丁寧な、しかも上述の言葉は、話し言葉というよりは書き言葉に近い話です。しかもその言葉が、本当に心から出ていることが伝わってくる言葉でしたので、一生忘れることができない餞(はなむけ)の言葉として、私の心の中に残っています。

後になってこのシーンを思い出すたびに、さすが長崎のキリシタンは、本物だと感心し、我が身を振り返って、こんな言葉を心から言えるような自分でないことを反省しております。

比較的最近になって、天草を旅行したときには、古い教会の近くで、軽い昼食にしようと思って立ち寄ったラーメン屋さんで、他に客は誰もいませんでしたので、この辺のお墓が日本風の墓石に十字架を立てた特殊なお墓になっていることを話題にしたら、そこの女将さんが「この辺ではこれが普通ですよ。私もクリスチャンなので、いずれあんな墓に入る予定です」と、淡々と答えておられました。

当時のクリスチャン狩りで、役所側は、クリスチャンになったお百姓さんを「不心得者」という呼び方をしていたようです。今から考えると、当時、「咎人(とがにん)」とか「罪人」とか言わずに、「不心得者」と呼んでいたことが、どのくらいクリスチャンへの弾圧の度合いを表しているのか、少し調べてみたい気持ちになりました。

いずれにしても、クリスチャンとしての歴史が長い長崎や熊本では、東京近辺とはだいぶ違ったクリスチャン遺伝子を実感させられる思いでした。やはり、口から出る言葉が相手に自然に伝わるような人は、普段の生活態度、信条から違うのではないかと反省しています。

言行一致という話では、以前、香港の飛行場直前で、飛行機が海に不時着をしたような格好になり、乗客が急いで脱出したときに、あるご婦人が前にいた牧師さんに、「どうぞお先に」と言われて、そのご婦人は助かったが、その牧師さんは命を落としたという話がありました。たぶん、間違いなく自分なら、我先に急いで助かっていたであろうと思っています。

余談ついでに、仕事仲間とバグダッドからテヘランにイラク航空で飛んだときに、仲間が機内で「さーて、落ちたときに一発で死ねる席はどこかなー」とつぶやいたので、「あんたそんなこと考えているんだ!」と言ったら、「あんたはどうなのよ?」と聞かれたので、「私は飛行機が落ちて、ほとんどの方が亡くなっても自分は助かって、しかもそのときの空港でのインタビューを2つくらい用意している」と返事をしたら、「こんな人と一緒だったら落ちないよ」という会話で終わりになりました。

みなさん、間違ってもこんな大それた考えはやめて、清く正しく美しく生きたいものです。