ご立派な会社(1)

前回まで、どうしようもない話を一杯書きましたが、いい話もしておきたいので、私が経験した立派な会社の例をご紹介しておきます。

最近のカメラはほとんどデジカメで、よほど趣味の人とか、特殊撮影に使うとかでないとフィルム用のカメラは使わないかも知れません。

私事ですが、カメラは小さい頃から、蛇腹式のカメラを親からもらったり、ミニカメラを戦後小学生のころに使ったり、俗称弁当箱と言われる二眼レフも使いこなし、自分なりに写真は楽しんでいました。長じて海外勤務をするので、長年あこがれていた本格的な一眼レフを、望遠レンズも含めてアサヒペンタックスSPを買い求めたのがかれこれ40年以上も前になろうかと思います。

最近では、あまりフィルム写真は撮りませんでしたが、それでも接写レンズを付けて、植物の拡大写真を撮ったり、赤外線フィルムで星を撮影したりして楽しんでいました。ところが、あるとき気がついてみると、ねじがゆるんだのか巻き上げ装置のヘッドが無くなっていました。10年ほど前、2002年の冬の事です。

さすがに寿命だと思ってあきらめようと思いましたが、あきらめきれず、一応ペンタックスに、修理窓口のペンタックスサービス株式会社があったので、そこに手紙を書き、事情を説明し、もう長年経っているので、部品など無いかも知れませんが、もし修理などしてくれるところでもあれば教えて頂ければ幸いですという文面で、投函しました。

ほとんど答えは分かっていましたので、あきらめかけていたところ、1月11日になってサービスセンターの所長のYさんという方から、手紙付きで、部品が送られてきました。

その手紙の内容を見ると、当然ですが、このモデルは製造しておらず、部品も供給でいないということでした。しかし、何とかして差し上げたくて、会社の倉庫をかき回してみたら、古い同じモデルのカメラがあったので、その部品を同封したので、カメラとともに愛用してやって下さいと書いてありました。

私は飛び上がるほどびっくりして、早速Y所長に下記のようなお礼状を出しておきましたので、一部を抜粋してご紹介します。今時こんなにもお客のことを考えて、アフターサービスを行ってくれる人柄と会社があることだけも幸せを感じています。

ご多忙にもかかわらず、貴社内部から同モデルを探し、そこから部品を外してお送り頂いたとのこと、まことに感謝の念に堪えません。実は私は長年商社での海外勤務が多く、このカメラは海外で長年使用に耐えてきたいわば戦友のようなものです。このペンタックスSPカメラは、ベトナム戦争真っ盛りのラオスでのダム建設や、赤軍派が活動していた、中東戦争時代のベイルートやバグダッドでも一度の故障もなく活躍してくれました。

最近は商社を卒業し、環境コンサルタントとして引き続き海外を仕事場として出張しておりますが、未だにあのレンズの重みのある感触を手放せないでおります。私の父も、もう亡くなりましたが、嘗て小原光学硝子に在籍していたことがあり、又友人の住田光学社長等とも交友があった関係上、レンズ作りにも大変興味を持っており、昨今の厳しい経済状況下でも御社のような立派な会社が健全に発展されている事を大変喜ばしく思っております。

特に海外では日本のカメラと時計は、どんな僻地に行っても外国の方が自慢げに見せてくれるのは、元商社マンとしてのみならず、一日本人として大変誇らしいことでございます。

最近はあまり消費者のことを考えずに、効率と利益のみを追求するだけの味気ない企業が増えておりますが、私ども「プロジェクトX」時代の人間としては、本当にお客が喜んでくれるサービスとは何かを身をもって体験してきたものとして、今回のような御社の心温まるサービスには涙が出る思いでございます。そして今度買うときもきっとアサヒの製品を買わせて頂きますし、他人にもこのような出来事をことある毎に吹聴致致しております。

これが日本の誇るおもてなしの心のある会社の本当のサービスでしょう。企業は生き物で、栄枯盛衰色々ありましょうが、こうしたサービスを、やってくれた人がいると言う事実だけでも、伝えておきたい心です。

この話とは直接関係ありませんが、最近、デジカメに関する次のようなエピソードを聞いたのでお伝えしておきます。ドイツで日本人の評価が高まっているというお話です。

ドイツのある奥様が、オーストリーを旅行していて、デジカメを置き忘れたまま帰国されてしまったそうです。そこへたまたま日本人の女性が仕事でオーストリーに来ていて、その忘れ物のデジカメを拾って見ると、日本製なので、早速大使館などに当たっても誰のものか分からなかったので、とりあえず日本に持ち帰り、カメラのメーカーに持ち込んだりしても分からなかった。

在日オーストリーの大使館に持ち込んでも分からなかったが、その中に写っていた一枚の写真に、年配の女性とお孫さんらしい女の子二人の写真があったそうです。その写真を拡大してみると、解像度も良かったのでしょう、背景の家の表札が写っていて、それでその女性が特定できたので、早速送り返され、無事カメラはそのおばあちゃまに戻ったそうです。彼女はさすがにびっくりして、まさか自分のデジカメが何万キロも旅して、日本人のおかげで戻ってくるなんて夢のようだと報道陣に話をしているそうです。

まさに一人の日本人女性のおもてなしの心が、暖かいニュースになったという事です。