広島の災害で思うこと

天災は忘れないうちにやってくる今日この頃ですが、広島で災難に遭われた方々には深くお悔やみを申し上げます。しかし、これは天災ではなく、間違いなく人災でしょう。本来日本列島は、地震、雷、火事、おやじと災害列島と言われてきましたが、最後のおやじだけはすっかり衰退してしまいました。しかし、それでも、これだけの天災に遭いながら、なおかつ住み続けるというのは、よほど日本列島が豊かだからではないでしょうか?

かつて、朝鮮半島からも大勢の人々が九州などに渡り、渡来人の陶器村等を形成していましたが、当時も、周りの人たちと大きな諍いや、争いが起きたという話は聞いていません。要するに、外国から色々な理由で日本列島に渡ってきた外来人が、日本に来ても、自然災害はあるにしても、本質的に自然が豊富で、飯が食える土地であったのだろうと想像できます。必然的に飯が食えれば、在来の日本人と外来の人たちと争う理由がなく、溶け込んでいったのだと想像しています。

それでも、地震、津波、台風(洪水)などが頻繁に起こっている現実にもかかわらず、被害が大きく出るのは、我々人間側に問題があるからだと思います。人間が群れて生きる動物である以上、まとまって集落を作るのは致し方ありませんが、それでも、都会に密集して家を建てれば、火事になったら延焼は免れず、また、風水害もお互いに災害を大きくするゆえんです。そもそも、開発業者が裏山を削って宅地造成し、安物の土留めをし、家を建てれば、崖崩れなどで災害に遭います。

土地の名前でも、最近は郵便番号の都合で、昔から付いていた地名・町名を変更し、何丁目何番地とするなども問題で、赤坂でも、台町、新坂町、一ツ木などが全部数字になってしまい、その土地を一言で言い表す文字が消えています。例えば、奥沢や深沢など、沢、窪、谷等が付いた地名は水が出るはずなど、住居を物色するときの参考になるはずです。

言い換えれば、便利に便利にと、都会では新しいインフラが建設されていますが、違う見方をすれば、危険な場所をどんどん作っていると言うことも出来ます。東京の地下鉄や地下道路など、ほとんど隙間なく人の手が入っていますが、これなどは、いったん事が起これば恐ろしいことになるのではないかと心配です。

しかし、個人の家にしても、社会インフラにしても、そう簡単に計画を変更できるものではありません。では、どうすれば良いのかと言われても、あきらめるしかない! せめて自分の身は自分で守るしかないとしか言いようがありません。

それでも、国家としては長期的観点から、どういう国作りをするのか? 業者の金儲けのためにインフラや家を造ったりするのではなく、国全体が安心・安全と言われるような策は何なのかを見極めることが重要でしょう。

金があるからインフラを作るのではなく、たとえ少しくらい不便でも、この災害列島で少しでも民の命が守れるような仕組みを考えるのが行政で、法律があるからあれが出来ないとか、これが出来ないというのは言い逃れで、こうした災害が起こるたびに、その災害の経験が全く次に生かされないことが大問題です。

話は飛びますが、最近急に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がブームになっているそうです。彼は、ご承知かと思いますが、アイルランド人の父とギリシャ人の母から生まれ、1896(明治29)年に日本の国籍を取って、日本人の奥さんから聞いた各地の民話やお化けの話を書いた人です。

彼は一時島根に居住し、そのときの日本のシンプルな生活に非常に関心を示し、随筆の中で、当時としてはおもしろいコメントをしております。すなわち、西欧で育った彼が、生活コストのかかる町というのは問題が多い、というようなことを言っております。当時の日本の生活というのは、確かにシンプルライフの中にも深い日本的文化の香りを持った家に住み、彼にとっては非常に魅力的な町の生活を楽しんでいたはずです。

というわけで、日本の町作りも、便利便利は後回しでよいので、地方行政も霞ヶ関も、民間では当たり前に出来るフレキシブルな頭で、この災害列島対策を、長期に考えて欲しいものです。