国作りの基本

最近は改憲問題がニュースになって、議論が政治の世界で特に賑やかなようです。刑法や民法などのいわゆる法律は、我々国民のために、国家が作って、我々国民に守らせるためのものです。しからば憲法というのは一体誰が作り、誰のためにあるのか?

私は法律など勉強したこともありませんが、六法全書の憲法の最後の第99条には、確かに天皇や政治家やお役人さんが権力を悪用して、とんでもないことにならないように、国民が政治家たちに守らせるべき事が憲法であり、守らせる側の我々「国民」の文字は、この憲法99条にある、憲法を遵守する側には記載がありません。だからこの憲法を改正する場合は、国民投票で2/3以上を取ることが決められていますが、有効投票数なのか、有権者数の2/3とすべきかなどの議論もあるようです。

いずれにしても、こうした基本を押さえた上での議論をしないと、終戦後米国から押しつけられた憲法だからとか、自衛隊は軍隊なのか?など原点の議論というのは、一人一人の生き様に絡む話でもあり、そう簡単ではなさそうです。

私自身は長年開発途上国の開発援助という分野に関わってきましたが、そうした中で、色々な経験をさせてもらってきました。今改めて、日本自身もエネルギー問題、農業問題、人口問題、教育問題等々国の根幹に関わるような問題を束で解決しなければならない状況にあるようですので、そうした観点から、私が経験した色々な事柄も交えて、考えるための材料としたいと思っています。

  • 発展途上国の国作りと開発援助
    砂漠のど真ん中にある、オアシスの村長さんの村作りの原点

戦前から東京に住んでいる私としては、最近の東京の交通機関、特に地下鉄や電車の開発は混雑解消とか利便性とかの理由で行っているのだろうと推察しますが、一体これからどこまで都市人口が増えることを考えて膨大な金をつぎ込んでいるのかよく理解できません。特にこれから人口も減り、且つ健康上からも、一駅や二駅は徒歩の距離です。都市開発とか地域開発というのも、ある程度の人口予測の下に設計をするのが原点で、増えたから、インフラを整備するという後追い政策では、パッチワークの政策と言われても致し方がないでしょう。

本題に戻すと、リビア砂漠のまっただ中にセブハ(Sabha)というオアシスがあります。地中海沿岸のトリポリから何百キロも離れていて、昔からそこを中継して、アフリカのど真ん中への中継点であったようです。

そこを訪ねた時に村長さんが色々案内をしてくれました。特にオアシスの井戸に興味があったので、そこを案内してくれたときに、彼は次のような話をしてくれました。

昔からここはオアシスとして栄えてきた村ですが、この井戸は見て頂ければ判るように、ほんとに浅井戸です。せいぜい3~4メーターくらいしかありません。それが点在しているわけです。この井戸から汲み出せる水の量だけがこの村の命を繋ぐ唯一の方法です。ですから、ここの人口はこの水の量で決まってくると言うのです。

ところで、何か問題があるのか質問をしてみると、村長さんは、最近はトリポリ(首都)から高速道路も出来ているし、また飛行機も少ない便だが飛んで来ます。そして水が足りなければ給水車で運んでも来てくれるが、それに頼って人が増えても、絶対に村は栄えないと言うのです。しかも近頃は、最新式のポンプで地下水をくみ上げる計画などを政府は持ち込んでくるが、そんなことをしたら、村はすぐに干上がって、消滅するとのことで、村長としてはこのままの井戸の生活を維持すると言っていました。

また付け加えて、自然なんていうものは、人間が浅知恵を出して何かをやっても、仕返しをされるだけで、なるべく逆らわずにつきあうことが大事ですとのことでした。まるで世界環境会議に出席させたいような村長さんの開発哲学でした。

加えて、ところでなぜ井戸のすぐそばに家を建てないのですか? 水くみが楽でしょうにと言ったら、お兄さん、人間に便利なところは、サソリだって水の近くがお好みなんです。だから必ず井戸から少し離れたところに家を建てるのですとの答えでした。納得です。

ちなみに砂漠に行って一度靴を脱いで、また履くときには、良く靴の中を見ないと、サソリなどが湿気を好んで、靴に入り込んでいるのでご注意下さい、とのことでした。これはまさに開発の原点であろうと思います。

最近どうなっているのか気になるところですが、カダフィ大佐が追い出されて、内戦状態になったときに、この村も反体制派の基地として可なりダメージを受けたようですし、また政府の原子力関連の開発基地にされたり、ロケット基地の候補になったり、騒がしかったようですが、昔の砂漠のオアシスそのものの豊かな村に戻っていることを願っています。

話は飛びますが、戦時中に疎開していた鶴川村(今の東京都町田市)では、街道筋に沿って一軒ずつ、裏山があり、そこから一年中地下水がおりてきて、「掘り抜き井戸」が新鮮な水を吹き出していました。

戦後、町田市と合併し、市として大型ポンプでこれらの地下水をくみ上げて、都市水道の水源としたため、今では掘り抜き井戸はなく、そのため、里山の豊かな自然が無くなり、小川の魚釣りも、裏山でのキノコ取りや、田んぼでのタニシ取りも、夢、幻の世界となってしまいました。

遅きに失するかも知れませんが、Sabhaの村長さんにお出まし願った方が、良い都市環境作りが出来るのではないでしょうか?