キレる小学生

少し前にキレる老人の話をしましたが、最近は小学生がよくキレるそうです。理由はよくわかりませんが、要は、乳児・幼児の頃に群れとしての訓練が出来ていないというのが結論のようです。

私たちの小学校時代は戦後まもなくの頃で、都会の小学校でクラスの半分くらいが片親でした。男親がいないのは、ほとんどが第二次大戦での戦死などで、母親がいないのは空襲で亡くなったなど、様々でした。また、当時は兄弟が多く、仮に親が片親でも、兄弟姉妹間で人間の群生活の基本は自然に学んでいた気がします。

翻って現代では、片親のケースはほとんどが生き別れ(離婚)で、かつ、兄弟も少なく、住宅事情もあり、特に都会ではマンションの小部屋で、親子二人きり等というケースはざらです。しかも近所付き合いもないというのが最近の典型的なパターンです。こんな状況下では、小さな頃から他人との接触がうまく行くはずがありません。

教育界の先生方や評論家は、なぜ小学生がキレるかの大きな理由として、まずは忙しすぎ(授業時間が長い、宿題も多い)、それにお稽古事やスポーツと疲れてストレスをためているということを挙げています。さらに、外で遊ぼうとすれば、公園ではボール遊びは禁止だし、大きな声を出すと怒られる。確かに、我々の時代から比べれば色々制限事項も多く、子供らしい生活がしにくいのは事実でしょう。

しかし、だから昔よりは今の子供たちの方がストレスが大きいと簡単に片付けて良いものかどうか? 私たちの時代には、勉強のストレスなどは確かに感じませんでしたが、もっと根本的な問題で、飯が食えない、食うものがない、腹がいつも減っていて元気が出ないなどの根源的なストレスはありました。

私が問題だと思ったのは、司会者や評論家が、こうした現代の子供のストレスをどうやったら取り除いてやれるのか?ということを議論しようとしていたことです。私に言わせれば、本来人間が群れて生活している以上、ストレスなんて必ず存在するものであって、そのストレスをお互いに我慢しあったり、時には上下関係で一方的に我慢したり、時には衝突してけんかになったりするのが人間関係であって、ストレスをなくすという発想では、なかなかこの問題は解決しないはずです。

子供同士だって、今でも親からは、「お兄ちゃん(お姉ちゃん)だから、少しは我慢しなさい」などと普通に言われているはずです。

四国だかの小学校で、色々な諍いのケースを第三者の目で見られるように、たとえば廊下で突然二人がぶつかったケースを想定して、「あなたならこうしたケースではどう対処するか?」といったことを検討させたところ、直接当事者ではない目で見られるので、お互いに謝るのが一番トラブルにならない処置方法だと理解したようです。

当然ですね。要は、経験不足の一言につきるわけで、小さい頃から大勢の中でもまれていれば、自然とこうした作法を学んでいるわけで、そうした場がない子には、群れのなかでは必ずこうした諍いがあるのが普通なのだということを、自然に理解させていけるはずです。

群れで生活するといえば、猿も全く一緒で、日本にも北から南まで色々な地域で猿が群れを作って住んでいますが、食い物の豊富な沖縄の猿は有利かと思いきや、食い物は豊富なのですが、それだけ猿の数も多く、群れ同士で大げんかをして、縄張りを守り、負けた群れは時には消滅するケースもあるそうです。しかも顔つきも、沖縄の猿は心なしか目がつり上がって、年中緊張しているようです。

ところが、青森の猿は、あの寒い雪の降る中でじっと寒さに耐え、少ない食い物で何とか群れを維持している状態で、それでも群れ同士が争わないのは、個体あたりの生息域(面積)が、沖縄の面積に比べて、圧倒的に広いようです。従って、目をつり上げることなく、穏やかな表情で寒さに耐えながら生きているようです。

では、日本中でもっとも優しい猿軍団はどこかというと、淡路島の猿だそうです、寒くなると、群れで団子になってお互いに寒さをしのいでいるようなケースがあり、多いときには100匹くらいの猿団子を作るようです。

猿軍団のように、普通はボスがいて階級社会を作っているわけですが、そのような集団が猿団子を作れるということは、上下関係があっても優しさがあるので、こうして固まって群れを作ることが出来るのだそうです。

人間も全く一緒で、生き馬の目を抜く都会の軍団は、目をつり上げて、何か金儲けはないかと必死の形相でかけずり回っている。しかし、北の静かな田舎では、そうたいした贅沢はしなくても、飢えない程度の飯があれば、仲間と仲良く生活が出来る。また、四国のお遍路さんに誰彼なく優しくお接待をしてくれる暖かい人たちがいる地域もある。

猿も人も全く同じはずなのに、なぜか知恵があるはずの人の争いごとの方が醜いと感じるのはなぜでしょうか? 単純です、猿の方が知恵が上なのでしょう!