ヒッタイト族お手伝いさんの水利用と口コミ

ベイルートの戦乱のため、家族はしばらくロンドンに避難民として滞在していたが、それぞれの家族はその後、中東の諸国に散らばって勤務することになった。

バグダッドは当時、かの有名なサダム・フセインのおじさんにあたる、ハッサン・アル・バクルという人が大統領を務め、国民もこれから良い国になると感じて、シーア派もスンニ派も仲良く暮らし、事務所のボーイも、暇があれば英語の本を片手に勉強をしていた。 続きを読む

パレスチナ人お手伝いさんの日本食と子育て

ベイルートは昔から中東のパリと言われて風光明媚な時代がありましたが、第4次中東戦争(1973年)のころから、アラブ対イスラエルという構図から、キリスト教徒対イスラムなど複雑な仕組みとなって、市街戦が日常となり、そのころ我が家では子供が出産するので、米国が建てた、AUMBC(American University of Beirut Medical Center)のお世話になり、無事二人の男子を出産しました。今回は、その時にお世話になった病院やパレスチナ人のお手伝いさんの子育てのお話です。 続きを読む

世界のお手伝いさん事情(人を使う、人に使われる)

サラリーマンなら人に使われ、少し経ったら、人を使う立場も両方経験するわけですが、これが個人の立場で、使われたり、使ったりする場合には可なり事情が異なります。

戦前では、東京でもちょっとした家なら「ねえやさん」と当時呼称していたお手伝いさんがいました。また個人商店などでは、番頭さんがいて、「たかどん」とか「何々どん」というような呼び方をしていて、年期が明けると、のれん分けをしてもらったりして、独立するというシステムがありました。 続きを読む