日本の雑草

先日、NHKの「仕事の流儀」で紹介されていた英国人のガーデンデザイナーの話です。彼は両親から渡された植物に関する本がきっかけで興味を持ち、色々勉強するうちに、日本には多様な固有種が多く存在することを知り、来日。日本に魅せられ、25年も滞在。現在は日本固有の植物(雑草類)を生かし、庭作りをやっている人です。

あちこちから仕事の依頼もあり、「涙が出るほど美しいもみじの庭を造って欲しい」という依頼に、もみじを使わず、日本の雑草でも色々な形や紅葉する草木があるので、これを活用して素晴らしい庭を造っていました。

彼によれば、日本には本当に多様な植物があり、それぞれが生きやすい環境をどう選んでやるかが大事で、肥料など人工的なことにはほとんど手をかけずに、出来れば植物に直接どんな場所に住みたいかを聞いてみたいという発想で仕事をしているようです。

最近は日本新発見とか、Cool Japan等、外国人から見た日本の良さ等の番組が多いのですが、実はこんな話は昔から日本人は充分美しいと感じていて、それを日常のこととして受け入れてきたわけです。ただ最近は都会化が進み、自然、気象など関係無しに都会生活を送る人間が増えたために、外国人から見れば、こんな良い素材があるのに、なぜ日本人は花屋などで一年草の、それも人工交配の園芸種の、その場限りの花を買って楽しんでいるのか不思議なのでしょう。

東京に「東京山草会」というのがあって(多分今でも存在していると思いますが)、私の父や会社の友人などが、草木染めで作った表紙に、ガリ版刷りの植物原稿を集めて発行していました。ちまたの雑草や、小さな花を咲かせる山草などを楽しんで栽培し、栽培が難しい植物では、仲間に正反対の事を教えて、「どうだ、うまく育っているか?」などと楽しんでいたのを思い出します。東京のど真ん中でもスペースを活用して、戦争中でも自分好みの庭作りを楽しんでいた人たちが多くいたことを記憶しています。

たまたま私のマンションでも、散歩好きの人や植物に興味を持っている方がおられるので、「植栽委員会」などと称して、週一回、植物の文化史や博物誌的な雑学記事を書いて既に3年になります。こうしたことに興味を持つ方は多いのですが、やはり時代なのか、若い方たちが都会に僅かに残る自然や街路樹や公園の植物に興味を持たない、あるいは持つ必要がない生活に慣れ親しんでしまっているのは残念です。

以前、会社で若い人に、ギンナンって知っているよね?と聞いたら、ああ知ってます、スーパーに売っているやつですよね、と言うので、売っているけど、あれはどこで採れるの?と聞くと、畑で栽培しているのはあまり見たこと無いけど、多分そうではないですか?という答えで、一同唖然として、あの銀杏の木が秋になると強烈なにおいを出す実をつけることにも気がつかずに、都会生活を送っていることを実感した次第です。

昆虫大好き人間の養老孟司さんも言われているように、日本には植物だけでなく、昆虫も種が多く、昆虫好きの人にも日本は格好の場所だそうです。

日本では、古事記、日本書記に始まって、奈良、平安、鎌倉、室町、戦国時代を経て、江戸、近代、現代に至るまで、総じて植物やそれに関わる資料はしっかりしていて、現在では、国立国会図書館のデジタル化された資料で、私たち素人でも原本に接することが出来るのはありがたいことであると共に、日本が何時の時代でも豊かな自然に囲まれて、時代を過ごしてきた証拠でもあると思っています。

特に日本は中国からの渡来植物も多いのですが、日本側で取り違えてそのまま定着してしまった言葉が結構多いようです。例えば、日本でキンモクセイやギンモクセイは中国では「桂花」で、日本で「桂(かつら)」と言ったらハート型の葉っぱで全く別の木です。中国桂林にはキンモクセイの木が街路樹として植えられているそうです。

いずれにしても、日本には各地に地域独特の植物があり、それにまつわる民話や神話も多く、日本人と自然との切っても切れない関係が伺えます。外国人に日本の良いところを見つけてもらうことも悪いことではありませんが、我々日本人自身でもう少し、日本の自然の歴史などを、博物誌的な目で振り返って見直すことも大事ではないでしょうか。

今年も厳しい年でした。世の中そんなに甘くないですね。みなさんは今後どうやって生きていくんでしょうか。来年も生きていたら、またお会いしましょう!