頭で考える、体で考える

大学生相手に、表面的な授業はともかく、実際に社会に出た時にあなた方はどう生きていけばいいのか、どんな考え方をしていったらいいのか、といった原点的な話をすると、結構食いつきがいい。いわく、「あなたは誰のものですか?」という質問をすると、けげんそうな顔をしている。

江戸時代の武士の子は藩のもの、いざ戦いとなれば、戦場に出なければならない。それが明治維新で、今まで年貢だけ納めていれば済んでいたものが、「今日からお前たちは日本国民である。はい徴兵ですよ」と言われて戦場に出される。今まで武士だった人たちは面食らう。

それが1945年まで続き、ある日突然、「今日から親方はマッカーサーだよ。戦争には行かなくていいよ。日米安保があるから」と言われる。戦後65年以上経ち、平和ぼけ。「沖縄の人たちは可哀想だ」「ごもっとも」「だから米軍は沖縄だけでなく、日本からも出ていけ!」とマスコミの前で叫ぶ。

「アメリカさんと協力するのは止めて、日本だけで自分を守りますよ」と言うのなら、出ていけ理論もOK。あるいは、「自分も守りません。無抵抗主義を貫きます」と言うのならこれも結構。しかし、「アメリカさん出ていけ。自分で守ります」と言った途端、あなたは母親のものではないのですよ。明日赤紙が来て、徴兵され、軍隊に入って、「しっかりお国を守ってください。あなたは日本国民なのだから」ということにもなりかねませんよ。事実、「韓国の若者は青年時代に全員兵役義務でしょう」というような話をすると、最初の質問の「あなたは誰のものですか?」という意味が少し分かってくるようだ。

また、親との関係についても、「だいたいあなた方はおやじなんかばかにして、うさんくさいからろくに話もしないでしょう。せめて母親から小遣いをもらうときくらいはおべんちゃらを言うけど、大学3年になるまでに親が一体いくらくらいあなた方にかけてきたか、単純に計算してご覧」と言うと、「久しぶりに親と話をしてみました。改めて親が苦労してきたことが身にしみて分かりました」と言う。素直なのだ、彼らは。

そして、A4用紙2~3枚の小論文を書かせると、結構本音で自分のことを書いてくる。そこの学部長さんが、「私は長いこと学部長をやっていますが、彼らがあんな本音を私に漏らしたことはありません」と言うので、「普段自分の近くにいる人とは違って、たまにプラっと来て、格好の良いことを言っている人には気軽に何かを言えるのでしょう」と言っておいたが、こちらが本音で本当のことを話せば、彼らは敏感に反応してくれるのだ。

特に、アジア諸国から来ている留学生は気合いが違う。例えば、中国のへき地から来た学生は、「親戚縁者から金を集めて、自分が代表でこの日本に学びに来ている。だから、帰国したらみんなの期待に添うようないい仕事をして、金を出してくれた人に恩返しができるよう、一所懸命勉強をしたい。帰国してからもみんなのために働きたい」と。ご立派。我々の時代の、田舎から集団就職で出てきた人たちにも似たような感覚があったのでは、と思う。

就職指導や生活指導などで、もう少し本当のところ(人生そのものをどう生きるか)を指導してやれれば、学生も結構安心して社会に出ていけるのでは、という感じを持っている。