沈黙は愚か者の知恵

サラリーマン生活をやった方ならば誰でも一度や二度は経験されていると思いますが、上司が部下を捕まえて、延々と説教をしたり質問攻めをしたりして、うんざりすることがあるかと思います。そうした話を私の友人と話をした時に、彼もあるメーカーに長年勤め上げた方なので、いったいどんな対応をしていたのか聞いてみました。

彼曰く、どうせ相手の言ってくることは百も承知だし、だからといって、いちいち返事や説明をしてみてもらちがあかないので、常に対応は何も言わないで、黙って座って聞いているだけだったそうです。

相手はしびれを切らして、「おまえは人の話を聞いているのか?」との質問にも、黙って返事をしないでいると、「うちの犬でも何か言えば『ワン』と返事くらいはするぞ!」と言われたそうです。そうして何分間くらいかかるかだけ数えていたそうです。(それでもまじめな彼は、現役の頃は朝出勤の時には胃が痛んだそうです! )

それで、なぜそんな手法を思いついたのかを聞いてみると、意外にも彼の口から出た言葉は、お偉いさんが「沈黙は愚か者の知恵」ということを言ったそうなので、なるほどと思って実行したまでだそうです。こうした対応もなかなか勇気もいるし、ちょっとやそっとのことでは出来ないかもしれません。

こうした格言は日本でも「沈黙は金」などいっぱいありますが、誰がそんなことを言ったのか調べてみると、フランスのJean de La Bruyère(1645-1696)というモラリストで作家が「Les Caractères」という作品の中で書いているようです。(岩波文庫にあります)

彼によれば、「愚か者のふりをして、沈黙を守っていることは美徳でもあるが、それをやるには(馬鹿のふりをすることは)、私はあまり上手に出来ないが、ある種の勇気がいる」ということのようです。

しかし、フランスの人は偉いですね。まさか自分で「モラリストです」と言ったわけではないでしょうが、世間があの人はモラリストだといって認めるのですから、17世紀とはそういう時代だったのかもしれません。

今の日本で、政治家であれ作家であれ、あの人はモラリストだといって、誰もが認めるような人がいたら、是非知りたいものです。

ところで、友人から、あんたはサラリーマン現役時代に、上述のようなケースはどう対処していたのかと聞かれたので、そこは職業病で、初めからしゃべりまくって、相手を説得し、それでも反論されたときにはその10倍くらいしゃべって、相手が納得するまでしゃべり続けていたことを説明しました。

現役の頃、私は本来無口で、会社生活に入るまではほんとに口数の少ない青年であったことを説明しても、上司や同僚は納得せず、村野の無口は漢字違いで、「六口」と書いて「むくち」と読むのだ、とからかわれました。

日本の外務大臣で陸奥宗光という人がおられました。彼は坂本龍馬とも親交があり、外交上でも功績を残した立派な方ですが、彼は若い頃から人に会うとしゃべりまくったそうです。なぜそうするのか聞くと、人に会えば時間に制限がある。だから、自分の意見を理解してもらうために、一生懸命、時間の許す限り話をするのだと説明していたようです。

いずれにしても、このようなお偉いさんはともかく、我々のような凡人は「沈黙は愚か者の知恵」を実践していた方がよろしいようです。