工場のおやじ(本田宗一郎)

同僚がプレーナー(平削り盤)という、鋳物を平らに削る工作機械を本田技研工業に納入し、芯出し作業をやっていたときの話だ。「おやじ」と呼ばれていた本田宗一郎社長(当時)は、自ら菜っ葉服を着て、朝早くからオートバイのショックアブソーバーのパイプを磨いていた。ちょっと見には工員さんにしか見えなかった。

社長としては当然ながら、自社の製品を作るためのマザーマシンの精度にいたく感心があったわけだが、若い商社マンが精度出し作業に苦労している姿を見て、本田社長が言った。「兄ちゃん、鉄なんてね、硬いようだけどふにゃふにゃだよ。朝ちゃんとできたと思っても、昼になって工場に日が差してくると、もう機械の精度は狂ってしまう。そんなもんだよ。だから、機械一つ一つの置き場所によって同じ機械でも調整が異なってくるのは当然で、それが機械の個性だ。使う人も個性を理解して使わなければだめだ。同じ機械だからといって同じに扱ったらよい製品はできない。人間だって一緒だよ!」

たったこれだけの本田社長の話の中に、どれだけの箴言(しんげん)が込められていたことか。最近になってホンダのOBにこの話をしたところ、「うらやましい。私たちはおやじから言葉を掛けられる機会なんてなかったですよ」とおっしゃった。ほんの一言が人間に与える影響は計り知れないものである。