商い

商売も時代背景によってやり方が大分変わってきますが、見方を変えるとか、発想を転換してみるとか、知恵を出すというのは、時代に関係なく、ごく普通に必要な基礎的考えだと思います。過去の幾つかの例をピックアップしてみます。

  • キュウリのマーケティング

東南アジアなどで、キュウリ等は目方で売っているので、市場に出てくるものはほとんど種を取るために大きくしたような味気ないものがほとんどです。青年海外協力隊の農業担当の若者との雑談で、どんなことを指導しているのか聞いてみると、米の水田農業ではほとんどが直まきで、いわゆる田植えはしていないし、当然苗床を作って苗を栽培し、それを田んぼに植え付けるなどのややこしいことはやっていない。そこで彼と二人で、秋の祭りに展示した1馬力の小さなハンドトラクターを持って、田舎の村長に頼んで農民を集めてもらい、苗床作りから田植えなどのデモンストレーションをやったことがあった。

ラオスの土は日本のそれとは違い、粒子が細かい砂状の土で、直に蒔くと引き抜くときに根っこを痛めるので、バナナの葉っぱを敷いて、その上に籾を蒔いて苗床とするような工夫もしていた。そのようにして、粗放農業に近い形から、手入れをして単位面積当たりの収穫量を増やす努力を地道に続けた結果、現在では、日本の田園風景と変わらず、綺麗に線を引いたように、稲が植えられるようになった。その際、「ついでだから」と言って、蔬菜栽培の畑を見せてもらったが、キュウリは例によって全部太りすぎ?!で、日本で食べるような青いキュウリを見つけて、「これを市場になぜ出さないの?」と聞くと、「こんな小さいときに出したら儲からない」という返事しか返ってこなかった。

町に帰ってから、協力隊員に「あんたの試験農場でいいから、この青いキュウリを取りあえず作ってみてくれ」と依頼し、「販売は私が適当に考えるから」と申し添えた。彼は「やってみます」と言い、私は日本人会のみならず、アメリカの大使館やUSAID(米国国際開発庁)など、当時はベトナム戦争を隣でやっていたので、結構外交官筋の方々も多かったので、彼らに近々こんなものを作るから試食してみて欲しいとメモを作って回しておいた。

しばらくして、彼は農事試験場で出来た、綺麗なキュウリを箱に詰めて何箱か試供品を持ってきたので、預かって、早速車に積んで一軒一軒回って配り、アメリカの方には箱ごと大使館に届けて配ってもらった。反応は上々で、お客さんからは「毎日でも欲しい。値段はそちらでつけてくれた値段で結構」という。彼にそのことを伝えると、彼は、農事試験場だけではなく、近くの指導している農民に作らせ、市場で目方で売るよりも高い値段で全量引き取る方式で(今流に言えば契約栽培)頼んだという。

そんなことをしばらく続けているうちに、ある日彼が、「村野さん、朝市に行ってご覧なさい」という。「何か面白い事でもあるのか?」聞くと、朝市でこの細い青いキュウリをラオスの農民が売っているという。しかも、飛ぶように売れているとのこと。

その晩は彼らを呼んで自宅で飲み会を開いて、少しでも農民の収入が増えればそれはそれで結構な話。今までラオスの農民は怠け者で働かないというのが通説でしたが、そんなことはない、誰でも何か面白いこと、儲かることなどがあれば一所懸命働くはず、というのがその夜の結論でした。その後、彼はタンザニアで農業専門家としてあちらの国会で演説をしたりして、農業の発展にも寄与したと聞いております。

  • 農業機械の使い道

日本では、農地が欧米に比べて一つ一つが小さいので、大型トラクターの開発は進まず、当初は乗って操作するものではなく、ハンドトラクターという両手で操作する代物で、且つ馬力も1~4馬力程度のものでした。こんなものが常識では、欧州の大農業国で売れるはずもありません。

しかし、パリに転勤して早々に、フランスの生活に慣れるためと称して、会社の経費でオルレアン大学付属の「ツール・インスチチュート」というフランス語を教える学校に数ヶ月遊びに行っていたときのことです。週末になったあるとき、下宿の老夫婦が、危なっかしい運転で、彼らの郊外の別荘に私とイタリアのお嬢さん二人を連れて行ってくれました。小さなお花畑や、石作りの別荘で、薪の暖炉があったりして、さすが先進国と感心して一日を楽しく過ごさせてもらいました。学校では先生が、フランスの農業も昔に比べて単位家族当たりの耕作面積がだんだんと少なくなりつつあり、今後経営が苦しくなるはず、との説明をしていました。

仕事に戻って、例の日本製小型ハンドトラクターのカタログは机の上に積んだままでしたが、ひょっとしたことで、あるフランスの機械ディーラーと商談をしていたときに、彼は「その値段表を見せてくれ」と言う。こんなものフランスで売れるはずはないと思っていたので、「こんなおもちゃみたいなものフランスでは…」と口ごもっていたら、「それだよ、それ。そのおもちゃだ!」と彼は言って、別荘などセカンドハウスや、家庭の庭の手入れに丁度良い大きさだという。結果として、しばらくはおもちゃのガーデントラクターとして、可成りの台数がはけたという事実があります。日本ではまじめに農業用として開発されたものですが、「所変われば品変わる」で、別な用途に使われることもあるようです。

  • 関税率表を読み込む

同じフランスの話です。日本の輸出黎明期では、結構どの業界も、先進国のよそ様には大変気を遣って輸出をしていた時代です。鉄鋼輸出にしても、相手様のマーケットを荒らしてはいけないということで、自主規制して、厚板鋼板(シッププレート=船舶製造用)は年間何トン、特殊鋼はなんと年間5トンとか7トンとかでした。

それでも、日本の鉄鋼製品は優秀なので、結構引き合いもあり、商談は色々するのですが、なんとも自主規制が問題なので、何とか知恵を絞ろうということで、フランスの関税率表をしらみつぶしにチェックし、あることを見つけました。

特殊鋼は英語では「special steel」と一般的に言いますが、フランス語でも同じ意味で「acier spécial」と言います。これでは規制に引っかかります。我々が商談をしていたのはフランスの車両メーカーで、そこに使うバネの材料になる、俗に「バネ綱」と言っているものです。これは製法としては「形鋼=profile steel」と言って、ビルの鉄骨や橋梁や鉄塔などに使うアングル、チャンネルといった形のものを言います。(製法の一種です) 従って、特殊鋼で作った「形鋼」があっても不思議ではないわけです。

そこで、関税率表をよく読んでみると、「acier profilé」という項目がありました。これで通関すれば問題はありませんので、invoiceも「特殊鋼」とは書かずに「形鋼(profile steel)」で無事通関し、お客さんも大変満足してもらいました。

勿論こうした一時の知恵も大切ですが、この商売がお互いに大変有効で、今風に言えば「win-win」の関係になるということを見越して、何とか商売を繋げるという事かと思います。うれしく思うのは、この名古屋の有名な鉄鋼メーカーですが、フランスの取引先とその後40年以上も取引が続いているという話を聞いております。