第一次世界大戦から100年(誰のために戦争をするのか?)

今年で第一次世界大戦が始まって100年目。足かけ5年の戦いでしたが、軍事関係者の死者が900万人、非戦闘員の死者が1,000万人と言われています。主戦場は欧州全土ですが、当時の武器のレベルからしても、如何に大量の死者が出たか、この数字だけでもなぜそんなに戦わなければならなかったのか。「サラエボ事件」の歴史的な意味合いについて、意見を交わす国際会議が、今年、事件の発端となった、現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで開催されるという話です。

事の発端は1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が、ボスニアの首都、サラエボで「青年ボスニア (Mlada Bosna、ムラダ・ボスナ)」のボスニア系セルビア人で民族主義者のガヴリロ・プリンツィプにより暗殺されたということです。

実際に私も現場に行ってみました。それもつい十数年前、5つの民族と3つの宗教という複雑な枠組みの中でそれぞれ独立運動を始め、その紛争が「ユーゴスラビア紛争」と言われています。その中には、スロベニアの独立戦争「十日間戦争」、セルビアとクロアチアの「クロアチア紛争」、首都サラエボを中心に起こった「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」などがあり、このような諸紛争が1991年から2000年まで延々と続いて、それが治まった直後の2001年に現地入りしました。詳細は別のブログに書きましたので参照してください。

第一次世界大戦の引き金となった場所ーラテン橋
(撮影:筆者)

問題の根っこは私たちには理解しにくいところがありますが、矢張り民族と宗教という事なのかと思います。100年前のことの検証も重要だとは思いますが、現時点でも問題が解決できないという現状を当事者達はどう考えているのか、その辺の話し合いが現実的に重要かと思います。

欧州のど真ん中のフランスとドイツの国境でも、この第一次大戦時に、いがみ合って、私のパリ勤務時代約50年前に、アルザス地方に行ったときにもまだ両国の文化の違いが、そこはかとなく残っていました。しかし現代の若い方は、ドイツとフランスが犬猿の仲であった等という話を聞いても、多分実感は出来ないでしょう。しかし、別な角度からみれば、最近の欧州の国民の体質からすると、形は違っても、移民反対、欧州連合反対といったデモが普通に行われているという事を考えると、根っこには、矢張り「宗教と民族」が遺伝子として根強く残っているのかも知れません。

時代は変わっても、国家がいい加減なことをやれば、困るのは国民、迷惑が掛かり、いつも被害者は弱者であることには100年前でも今でも変わりはありません。従って国民としては、その不満を国家とか政府とかに向けて行くのは自然の生業ですが、現代では、何でもかんでも国が全てをやってくれるという傾向があるように見えます。

国家がしっかりしているという事は、その国の国民として国民一人一人が自覚して、それぞれの責任を果たすという事が原点かと思います。しかし日本国民は総じて(平均して)結構まじめに役割を果たしているようにも思えます。私が感じているのは、海外で、特にイスラム世界でのイスラエルとパレスチナとか、上述の旧ユーゴ地域における民族間のいがみ合いなど、千年以上も恨みを持ち続けられることがすごいことだと関心もし、また無駄なことだとも思います。

実際に、米国と戦争をして、あれだけ日本中焼夷弾で焼かれ、死者も多数出ても、敗戦となって、進駐軍が来たら、すぐに「ギブミー・チョコレート」の世界に入り込み、日米協力などを抵抗なくできるというのは、地球上で生きている人間として、また生き抜くためには、結構遺伝子として、あるいは文化として有利な性質なのかも知れません。

例えば実際に私たちが海外、それも僻地や、発展途上国で、日本のパスポートを持って歩くと、「日本国家」のパスポートを持っているという事がどれだけ幸せか、世界の何処の国に行っても、問題無く通過させてくれる。そのことのありがたさは、他の国のパスポートとはおおいに異なります。私が仕事で、パレスチナパスポートを持った、米国企業在籍の方と一緒に、東欧のブルガリア・ソフィアの空港に下りたとき、私は、何の問題もなくすぐに入国管理のデスクを通過しましたが、彼は、引っかかって中々出てこず、こちらから見ていたら、入管の役人が、こちらに手招きをするので、行ってみたら、「おまえはこの人と一緒か?」というので、仕事で一緒に回っていて、ブルガリア政府からの依頼もあって来ていると言ったら、直ちにスタンプを押してくれました。

その点ではまさにパスポートはその国の顔です、それがしっかりしていると言う事は、一応「日本国」が今のところしっかりしているという事になるのでしょう。しかし幾ら日本のパスポートが世界で有効でも、ローマの空港でみた若い日本人女性の観光客のお二人は、イミグレーションのカウンターを我が物顔で、出たり入ったりして注意されていました。矢張り日本国民として、お行儀は良くした方がよろしいようです。

第一次大戦が始まって100年、日本は戦勝国、その頃の関係者はみなお亡くなりになっています。第二次大戦が始まって73年、日本は敗戦国、まだこの戦争を体験している人は生き残っています。この辺でもう一度、誰のために戦争をしたのか、戦争と日本国家を検証してみるのも意味があるかと思います。