プレゼンテーション(話し方について)

前回のオリンピック招致に失敗して、今回はその反省も含めて色々苦労されたようですが、結果は成功したわけで、おめでとうございます。最終のプレゼンテーションの完全版をTVで改めて見ていましたが、色々なことが見えてきて、大変興味深かったです。

まずトップバッターとして、高円宮妃殿下がフランス語で話され、後から英語で話されましたが、国際機関でお仕事をされたこともあると聞いており、フランス語もお上手ですが、大切なのは立ち居振る舞いですね。当たり前ではありますが、品格は抜群ですね。本来日本人の話し方は「かくあるべし」という見本のようなものではないでしょうか。

次の佐藤さんは、順番も良かったともいますが、やはり実体験がベースの話ですから、訴えるものが素直に出て印象も聞き手に対するインパクトも強かったのではと思います。

あと竹田理事長の話も、スポーツは当然として、現代の色々な問題(ドーピングとか、スポーツの金銭問題、スポーツと教育、本来のスポーツマンシップ、日本で言えばスポーツと暴力など)に対して、日本のスポーツ界や日本人自身がどんな対応をしてきたか、ある意味当たり前の話をきちんとお盆の上にのせて、正面から、これから解決しなければならない問題を日本として認識し、次のオリンピックにつなげて行くというようなビジョンがよく示されていたと感じました。

日本の代表として、国際会議や国連などの演説で、政治家や著名人がお話になっても、中々論点が絞り込めてなかったり、ピンぼけだったりするケースが多い中で、良くこなされたスピーチだと思いました。他の皆さんも、一生懸命英語を練習され良かったと思います。

この訓練には英国の方が当たられたらしいですが、あの程度の身振り手ぶりのジェスチャーはオリンピックのプレゼンテーションには必要だったのかも知れません。しかし、普通英国の方は、あまり身振り手振りはせず、ロンドンでもちゃんとしたレストランである女学生の集団が食事をしていたときでも、皆さん手を膝の上に置いて、静かにお話をされていたことを覚えています。

ラテン系の国では、私の経験でも、大なり小なり身振り手振りは良くやりますので、これは国民性でしょう。ただ日本語でスピーチやプレゼンテーションを行うときには、日本語そのものが本来美しい言葉ですし、語彙も豊富なのですから、言葉も選んでやれば、きっと聞き手には訴えられる内容になると思っています。

普段国会で演説される日本の議員の方は、原稿を棒読みにしたりして、とても演説やスピーチといった部類に属さない内容ですが、安倍総理も今回だけは、原稿の棒読みは無かったようで、これを機会に是非国会でも、御自身の言葉でしっかり話をされることを期待します。

中身については、滝川さんの「おもてなし」を始め、日本や日本人の優しさとか、他人を受け入れる心とか、日本独特の良さを入れ込んだのは大変良かったと思いますし、アピールもしたのだと思います。

ところで、日本語のこのような微妙な表現は英語に訳すのに結構苦労するものです。「おもてなし」も「知性と教養」などといった場合も、ニュアンスとして伝えるのが結構難しいです。

私は未だに、外国の方と雑談するときに日本語の「知性と教養のある方は」などと英語で説明するときに、「知性」は「intelligence」とか訳しても何とか感じはつかめますが、「教養」を「liberal arts」と言うのは何ともしっくりせず、辞書を調べると中世では「liberal arts」は「文法、論理学、修辞学、算数、幾何学、天文学、音楽」の7教科を意味するのだそうです。

それにしても、元々「知性と教養」という言葉自体は、どうも明治以降に、逆に西洋から入った言葉のように思えますが、現代の日本では、学問だけでなく、その人の「品格」、「立ち居振る舞い」など、「教養」という言葉の中に、日本人が今まで培ってきた「優しさ」「謙虚」「礼儀」「親切」など色々なものが入っているように思えます。

最近、オリンピックの影響かどうかは分かりませんが、日本への観光客が増加しているようで、NHKの番組に、大分・国東に住んでいる英国人で、外国人向けの観光案内を生業としている方が出演されていました。

アナウンサーが彼に、日本人はシャイで、英会話も下手なので、中々コミュニケーションを取るのが大変なのではないのか?と聞いたところ、全然そんなことはなくて、むしろ手振り身振りでも積極的に接触してくれるし、逆にそれが暖かさや優しさを伝えてくれるので、非常に好感が持てると言っておりました。また日本人が逆に直した方が良いところはどんなところでしょうか?と聞いたら、全く直す必要もないし、そのままで充分「おもてなし」の心は通じますと答えていました。

現在でもすでに欧米やアジアなど、色々な国の方々が東京近辺にも住んでいて、仕事もされており、バスや電車に乗っても違和感が少なくなっているのも事実です。あと7年経った時には、東京はどんな町になっているのかでしょうか。国際化なんていう月並みな言葉でなく、実体のある国際都市になっているのか、でも本当の意味でそうなったときには、むしろ日本人の中身が変わっているのかも知れないという悪い意味での恐れもあります。そうならないように祈るばかりです。