集団的自衛権

集団的自衛権について、昨今、TVや新聞で連日のごとく報道されています。こうした議論を国民的レベルで、やること自体は大いに結構だと思いますが、戦前2.26事件のさなかに生まれ、その後第二次大戦、終戦、朝鮮動乱、ベトナム戦争、中東戦争、イラン・イラク戦争、旧ユーゴスラビアの内戦等を見聞きしたのではなく、実体験した自分としては、主権国家間の戦い、内戦、争乱、ゲリラ、代理戦争等、いろいろな形があり、いつどんな形で争いが起きるかは、そう簡単に予測がつくものではありません。

安倍首相が集団的自衛権を行使する場合のケースを想定して、絵入りで例題として説明していますが、私にはどう見ても、中学校のホームルームの議論程度にしか見えません。そもそも日本国家として、日本の同盟国が仮想敵国から攻撃された場合、同盟国から依頼があれば助っ人に行きます、ということのようですが、これも机上の空論で、これからの戦争は、武器にしても、ミサイルに核弾頭、宇宙衛星を使った情報戦略、かと思えば、アフガニスタンやナイジェリアの例のように、ゲリラが神出鬼没(この方がやっかい)とケースはピンキリです。

そもそも同盟国といっても、現時点での同盟国を想定して話をしているのでしょうが、このように法律的解釈問題は長いこと適用されるわけです。しかし、現在同盟国であるアメリカは、第二次大戦では敵国であって、第一次大戦では、英国は味方でしたが、ドイツは敵国でした。昨日の友は今日の敵。世界の長い歴史では、仮想敵国も状況によってころころ変わるという認識が必要でしょう。

仮に現時点の話として、同盟国である米国が敵からやられている場合、米国から依頼があれば、日本国としては助っ人に行きますよということですが、形の上では、米国はこの種の議論を悪いことではないという程度には考えているでしょうが、ほんとにこのようなことが起こった場合、米国が日本に、いわば軍事的支援を求めるでしょうか?

第一線におっとり刀で駆けつけても、足手まといになるだけです。仮にそうでないとしても、支援の本心は、湾岸戦争で経験したように、後方支援(ロジステック)で、燃料の補給とか、必要な資機材の供与とかなら、大いに助かるでしょう。

しかし、湾岸戦争の時も日本は金だけ出したから世界中から馬鹿にされたとか言われていますが、日本の首相としては、かっこよく軍隊を出して、同盟国の皆さんと一緒に命をかけてやっていますと言いたいのでしょう。しかし、それは結局日本の憲法問題、すなわち戦争放棄の問題に帰納するわけです。

言い換えれば、世界の中で紛争が後から後から繰り返される中で、日本国としては、どういうコンセプトで自国を作り、世界の平和を守る、あるいは世界の紛争を鎮めるための理念は何ですか?という答えを議論することだと思います。安倍首相は「積極的平和外交」と言って、それを実現するためには、同盟国の助っ人となって一緒に戦うことが、積極的平和につながると考えているのかもしれません。

しかし、この延長線上では、結局は軍備拡張路線しかありません。かつて米ソで軍拡競争をやり、お互いにこれではやり過ぎで、金ばかりかかるので、軍縮をある程度進めようという話で、その延長線上でソ連の崩壊という方向になったのですが、かといって、争いがなくなったわけではなく、軍事産業としては、どこかで適度な争いがないと、試せないし、売れないので、そこそこ争いはあってほしいというのが、本音でしょう。

ここで武器商人の話をします。もう40年前のことですが、中東のある国で、フランスの武器商人と話をする機会がありました。お互いに、中東のオイルブームで金ができた国に何をどう売っているのかの雑談をしていたわけです。

彼の売り物は「戦車」と「戦闘機」です。戦闘機は当時フランスが開発した「ミラージュ」です。戦闘機は分かるが、今時、戦車でもないでしょう?と話しかけると、確かにそのとおりで、第二次大戦中は、ドイツのロンメル将軍がリビア砂漠で戦ったり、戦車は特に砂漠では必需品であったようです。

彼の説によれば、いまさら戦車を大量に買っても、使い道は限定的で、だからこそ、フランスの戦車を中東に売っても(実際にはシリアに売れたとのこと)、中東情勢にあまり変わりはないので、メーカーとしてはいい商売ということになるとのこと。政治的戦略的商品でないということを説明していました。

ミラージュはイラクが何機か購入しました。当時イラクは一応社会主義国でしたので、ソ連の技術者などがきて、イラクのプロジェクトをかなりやっていました。しかし、武器に関しては、歩兵用のカラシニコフ銃以外はあまりソ連製の武器には興味を示さず、最新鋭の武器を、いわば同盟国以外の欧米から買っていたということになります。

今回、安倍首相は武器輸出三原則も外して、日本の優秀な武器も輸出できるようにするようです。メーカーにしてみれば結構な話ですが、武器一つとってみても、国家の基本方針と深くつながる話です。

従って、今回の「集団的自衛権」という話を、表面的な議論で方向付けすることの危うさをもっと認識すべきで、根本の問題に立ち返って、憲法問題も含めて、日本の長い歴史、日本が地震や津波災害は多いが、気候的、地理的には恵まれた国であるという利点を生かして、世界の国々に対して、日本が例外的な国であるということを理屈で説明できるような国作りをしないと、世界は納得しないし、説得力もないと思います。

お隣の中国は現在、軍備拡張だの、ASEAN諸国と国境問題などで、強引とも思えるやり方をしていますが、20世紀初めのことを考えれば、当時は英国、フランス、ドイツなどが勝手に中国の領土を植民地とし、日本も負けじと北支(中国東北部)で満州国を建てていたことを、力がついてきたので、今度は俺たちの番だと思っているのかは分かりませんが、問題は、第二次大戦を始めた日本の内情のように、「張り子の虎」のような国家をいくら作っても、中身がしっかりした国家作ることができなければ、結局は内部崩壊して、国を自ら滅ぼすことになることは、世界の歴史が証明している事実を、政治家は特によく勉強して欲しいと思います。その上で「身分相応の国家作り」とは何かを国民に問うべきでしょう。

ついでに話をしておきますと、PKO活動での「駆けつけ支援」もこの話の中にはいっているようですが、これはある意味もっと難しい話で、仮に国連のPKO部隊が活動していて、その脇で世界のNGOが活動していた場合、NGOは国連とは別の思想で支援作業を行っており、かつもし日本政府が日本のNGOだからといって助けても、日本のNGOは他の世界のNGOとの連携で仕事をしているケースが多く、日本のNPOだけの判断での支援はかなり難しい決断を迫られることになります。

それとは別に、このような国際紛争が生じた場合、一番問題なのは日本の民間企業や個人の旅行者などで、日本の外務省は、基本的に邦人保護の義務を負っていますが、残念ながら、この種の事件の場合、日本政府が非常によく機能したケースは少なく、トルコ政府が積極的に日本を支援してくれたり、日本企業の個人ベースでの行動で、自分自身を守るといったケースがほとんどでした。

国際問題も重要ですが、自国民保護も別問題ではありますが、結構重要で且つ大変難しい問題ですので、この辺から、しっかり議論をしてほしいところです。

危ないところには行くな、行くのであれば自己責任です、というのはその通りです。しかし、先般のアルジェリアのゲリラ事件などは、情報管理など、もっと政治的な交渉や、政府としても、介入していればある程度防ぎ得た事件だと思います。人質救出や、プロジェクト実施時にゲリラ側と直接交渉したりした経験からすると、政府(外務省、大使館)の直接できることは限られていますが、金や政治での寄与は可能なはずです。

特に、現在は比較的容易に海外でのプロジェクトを受注し、外に出かけていくケースが多いだけに、経験の少ない企業に対しても、政府がどう面倒をみられるのか、自国民の支援ができなくて、他国の支援は難しいでしょう。