阪神淡路大震災から19年

19年前の早朝、直下型の地震が阪神・淡路地方を直撃してから、もう19年にもなります。最近は東京などの大都市で直下型の地震が起きたときに、東京都防災会議がまとめた予測では、死者が揺れと火災で約9,700人、建物被害が揺れで116,200棟、火災で188,100棟という数字を出ています。

果たしてこの程度で済むかどうか分かりませんが、阪神淡路大震災の経験者のひとりが、亡くなった方と、何とか生き残れた人とは紙一重で、そうであるなら、何とかこのような災害に対して、1人でも多くの人が、生き延びるために自分の経験談を語り伝え、不幸にして亡くなった方の分まで生きてほしいと言っております。

その方は80歳代の女性で、震災当時甲子園球場の近くのマンションに息子と住んでいて、当日震災に遭った方です。当日いきなり何が起こったか分からずに、倒れてきた家具などに挟まれて、腰をやられ、身動きが出来ず、息子に助けを求めたが、息子は、自分も家の中の品物に埋もれたが、何とか脱出すると、いきなり扉で閉じこめられるのを防ぐために、何度も体当たりして、何とか逃げ道を確保したそうです。そのあと母親が、挟まれて身動きが出来なくなっているのに気がつき、何とか助け出したそうです。

そのあと、彼女は腰の骨や股関節がおかしく、骨が音を立ててきしむような状態で、結局自宅に引きこもり状態となり、言わば鬱状態が続いたそうです。その時自分の弟は神戸にいて、残念ながら、家の下敷きになって亡くなったということを、その奥さんから聞かされたそうです。

この亡くなられた方がまた、色々な目にあって生きてこられた方で、戦時中、徴兵されて、通信兵として内地の勤務をさせられて、戦地で銃を取るよりましだと言っていたのですが、通信兵として、ある飛行場の管制塔で無線通信作業をしているところを、米国の艦載機に機銃掃射を受けて、右手を失ってしまいました。

終戦後、生きる気力もなくし、鉄道自殺や首つりなどで、自殺未遂を何度も繰り返し、その都度姉として、彼女が警察などに引き取りに行ったそうです。その後彼は枯葉一転奮起して、左腕だけで猛勉強し、一級建築士の資格を取り、何とか自立し、人も使って仕事が順調に動き始めた矢先に、この地震で、下敷きになって亡くなったそうです。なんとも聞くだけでも悲劇の塊のような話です。

そんなこんなで、彼女はリハビリのために医者に通い、外に出てなるべく他人とお話でもしなさいと言われたが、マンションでは話し合える人も少なく、閉じこもりがちな生活をしていたところ、甲子園球場の近くに、被災者用の仮設住宅が建ち始めたので、この炊き出しや雑用に、ボランティアとして参加するようになり、やっと生き甲斐を見いだせるようになったそうです。

そこに入居した方達は年寄りが多かったために、同じようなパターンの住宅が並んで立っているので、自分の家を間違えてばかりいたので、各棟ごとに、象さんや、ウサギさんなどの絵を描き、しかも各戸別に、料理屋さんからかまぼこの板をもらってきて、表札にしてあげたそうです。このような活動は、全国にも知られるようになり、未だにかまぼこの板を送ってくれる人がいるそうです。

その様な活動を続けているうちに、自分の経験を活かして、このような震災時に、何とか生き残るためには、笛を首からかけて、常に持ち歩くことが、閉じ込められたときに、この笛が、所在を知らせるのに、大変役に立つということ等を、近くの学校や集会所で、体験談の語りをやるようになったそうです。

その様な活動をやっていると、全然知らない方から、あなたのお話を聞いて、今でもちゃんと笛を首にかけていますという方に結構会うそうです。こうしたことで、1人でも多くの方が、生死の分かれ目に命を繋いで、不幸にして、亡くなった方の分まで生きて欲しいというのが、彼女の願いです。

このような活動はちょっとしたことですが、意外と続けることは難しく、誰かがこうした「語り伝え」を実施して行くことで、一人でも命がつなげられれば、不幸中の幸いとして、後生に語り伝えられて行くことでしょう。

人間大体がいい加減で、自分だけは何とかなるんではないかと、楽観的に考えていますが、「備えあれば憂いなし」で、まあ出来ることは気休めでも、やっておいた方が良いと思います。

あれから19年間、ほとんど毎年どこかでそれなりに大きな地震が発生しています。地震列島に上乗せして、洪水、冷害、津波、竜巻、噴火、これに人災を加えて、人間生きているのが奇跡みたいなものです。

カッチ、カッチ、火の用心と、昔は火事は人災の大きなテーマでしたが、さすがに件数は減っているでしょう。しかし、天災は簡単には無くならないと思って生きた方がよろしいようです。

参考までに、気象庁のデータを下記します。1995年阪神淡路大震災から2013年末までの地震の震度別回数です。震度5以上でも303回もあります。計算上は一年に約17回、日本のどこかで震度5以上の地震が起こっているということです。

震度 回数
7以上 3
6以上 40
5以上 260
4以上 1,492
3以上 5,991