戦争と平和(2)(嵐の前の静けさと耐乏生活)

世界恐慌の影響がもろに出ている昭和13(1938)年に、日本は国家総動員法が発令され、経済統制(米の配給)、公定価格(俗に丸公)、言論統制、労働問題など、国民生活に直結する基本問題を規制したのがこの法律です。

私が記憶しているのは、昭和14年に、東京・千駄ヶ谷の自宅に、米屋が「配給でーす」と言って、台所にドスンと米袋を配達してきたのを覚えています。生まれて間もない、この頃からが、食い物との戦いの始まりだったわけです。

それから2年して第二次大戦が始まるのですが、それまでは特に食物が不足したとか、いつもひもじい思いをしたということもなく、「三丁目の夕日」の世界が広がっていたということです。その生活環境をご理解頂くために、千駄ヶ谷の町の様子を描いてみます。 続きを読む

戦争と平和(1)

毎年8月になると、終戦記念日で、第二次大戦時中の悲惨な話や苦労話がTVやラジオで放送されます。私自身も戦争経験者ですし、東京に住んでいたので、縁故疎開をしたり、隣近所の幼なじみが戦争のために、孤児(みなしご)になったり、一つ一つが鮮明な記憶として残っているので、何気ない話ですが、当時としては淡々と受け入れ、今となっては貴重な記憶として、細かい陰影までが残っています。

こうしたことが二度とないようにと口癖のようにTVのコメンテーターは言いますが、私としては、どうも人間というものは、懲りない性分で、時が経てばいずれまた、似たような事を始める動物だとあきらめているところがどこかにあります。そうしたことが出来れば無いように、反省と自戒の念をこめて、当時の庶民がどのような生活をしていたのか、具体的な話をしてみます。 続きを読む