世界のお手伝いさん事情(人を使う、人に使われる)

サラリーマンなら人に使われ、少し経ったら、人を使う立場も両方経験するわけですが、これが個人の立場で、使われたり、使ったりする場合には可なり事情が異なります。

戦前では、東京でもちょっとした家なら「ねえやさん」と当時呼称していたお手伝いさんがいました。また個人商店などでは、番頭さんがいて、「たかどん」とか「何々どん」というような呼び方をしていて、年期が明けると、のれん分けをしてもらったりして、独立するというシステムがありました。 続きを読む

イラク北方部モスルの田舎の村長さんの依頼

チグリス川にほど近い村で、ダムの調査をやっていたとき、道に迷って近くにいた農村のおじさん(実は後で村長さんであることが判明)が道案内をしてくれたときの話です。冬に近い頃で、イラクといえどもこの地方では結構寒い日のこと、彼はとても親切で羊の皮を縫い合わせたえらく重たいマントを私に掛けてくれた。それがとても暖かく感謝をしつつ彼の案内で一通りダムの調査を終えて帰ろうとすると、まずは家に寄っていけと言うので、とにかく村長さんの家にお邪魔をした。少し遅めの昼飯時間だったのですが、彼は早速料理を家の者に作らせ、近くの小学校の英語の出来る先生も呼んで、宴会となった。 続きを読む

アフリカの超近代国家

私が中近東地域勤務をしていた、かれこれ40年以上前に、仕事仲間と、アフリカのソマリアにハルゲイシャ(春芸者?!)という街があるので是非一度訪問してみたいと思っていました。繊維関係の方は、そちら方面に、たまに出張して、プリント柄の反物を売り歩いていましたが、最近は商売どころではなく、海賊の巣で、アラビア湾から航行して来る船が乗っ取られたりして、自衛隊も船舶サポートのために港湾都市ジブチを基地に、活動していますが、現時点で国家としての体をなしていないといった程度の興味しかもっていませんでした。 続きを読む

今日から会社をしばらく閉鎖しますと言われたら

今日から会社をしばらく閉鎖しますと言われたら、あなたは明日からどうやって飯を食いますか?

前回、セルビアのNisの市長さんの話を書きましたが、この近くにBorという銅鉱山の鉱山町があります。ユーゴ-スラビア時代から、日本の商社や、エンジニアリング会社が面倒を見ていて、プラントや設備を売って、技術指導などもやっていたようです。長年操業をやっている鉱山ですが段々と鉱石の品質が悪くなってきたので、歩留まりが悪く中々商売にならなくなってきているので、周りは結構きれいな山川があり、むしろ観光地として再生しようかと悩んでいると、鉱業所の所長が説明してくれました。それで、現在はフル操業しても、一週間に二日くらいしか工場を稼働させられず、従業員も困っているとのことでした。 続きを読む

セルビアの名門都市・ニシュ市長の悩み

今から10年以上前に、日本政府代表として、旧ユーゴスラビアの各都市を訪問したときの話です。セルビア共和国のNis(ニシュ)市を2001年7月に訪問、1999年にNATOがクロアチアを支持して、セルビアを空爆した跡も生々しい時期に、そこの市長Mr. Goran Ciricさんから詳しい話を聞く機会を得た。 続きを読む

国作りの基本

最近は改憲問題がニュースになって、議論が政治の世界で特に賑やかなようです。刑法や民法などのいわゆる法律は、我々国民のために、国家が作って、我々国民に守らせるためのものです。しからば憲法というのは一体誰が作り、誰のためにあるのか? 続きを読む

旧ユーゴスラビアの内戦と戦闘

旧ユーゴスラビアは第二次大戦中、ドイツやイタリアに支配され、戦後、パルチザンをやっていたチトーが新社会主義を標榜して、現在のセルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロなどをとりまとめて、連邦国として何とかバランスを保っていました。

しかし、旧ソ連邦としての位置づけにあった東欧諸国が民主化し始めると、チトーが亡くなったあと、上記の国々が5つの民族と3つの宗教という複雑な枠組みの中でそれぞれ独立運動を始め、その紛争が「ユーゴスラビア紛争」と言われています。その中には、スロベニアの独立戦争「十日間戦争」、セルビアとクロアチアの「クロアチア紛争」、首都サラエボを中心に起こった「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」などがあり、このような諸紛争が1991年から2000年まで延々と続いて、最近やっと落ち着いているという状況です。

紛争後、ご縁があって日本アドリア経済委員会(旧ユーゴスラビア経済委員会)の副会長を拝命し、紛争の跡が生々しい2001年に政府代表ミッションとしてこれらの諸国を訪ねた時の現場の様子をご紹介しておきます。 続きを読む